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愛猫を失い思うこと ~「あの時ああすれば、、」という言葉は、誰も幸せにしない

愛猫アメリカンショートヘアが、12月の日曜日、満月の日の夜に亡くなりました。15歳9か月。

その「死」の受入れ方は見事でした。
おそらく1か月ぐらい前から、
食欲が少しずつ少しずつ無くなって行きました。
寝ている時間が長くなり。
あまり鳴かなくなり。
何も言わず、苦しさを受け入れて。じたばたせずに旅経ちました。

亡くなる前々日の金曜日から何も食べなくなり、呼吸が苦しそうで。
土曜日から水も飲まなくなり、呼吸が苦しそうで。
トイレに自力でいくものの、真っすぐ歩けずヨロヨロと歩き。
日曜日にやっぱり呼吸が苦しそうで。少しだけ痙攣して、そして亡くなりました。

じたばた、おろおろしたのは、人間の私の方でした。
何かできるのではないかと、
病院に連れて行ったり、点滴してもらったり、血液を調べてもらったり、、と。
でも、もう腎臓の数値が悪すぎて無理でした。

亡くなった後も、
「あぁ、あの時、撫でてあげればよかった。」
「あぁ、あの時、もっと部屋を暖めればよかった。」
「あぁ。あの時。病院に連れて行けば。」
「あぁ、あの時。」「あぁ、あの時」
と、もんもんと考える。

でも、その後悔の言葉。
自分を苦しめるだけで、周りにいる家族を苦しめるだけで、誰のことも幸せにしない。
家族も私も、「彼(愛猫)は幸せだったよね。きっと。」とだけ話しました。あとは、それぞれの胸の中で考えることとしました。
今は、後悔よりも、残った者たちで彼の死を、ただただ受け入れることが大切なのではないか。それが、潔く老いを受け入れ、死を受け入れ旅立った彼への敬意なのではないかと。

もし、私と同じように、ペットを亡くし自責の念に駆られている人がいれば、「そんなに思ってくれる飼い主さんで、幸せだった。」とお伝えしたい。





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