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インド旅行記5 ガンジス川が始まる場所

さて、今回の旅のきっかけは
旅行記0で書いたように、クマさんケワルさんご夫妻との出会いでした。
(未読の方はぜひご覧ください)

そしてケワルさんに見せてもらった
綺麗なガンジス川の写真のインパクトは大きく
ガンジス川って当然聞いたことはあるし、日本のTV番組なんかでもよく見るあれだよね、というイメージを一気にぶち壊してくれるものでした。

インドはリシケシュに到着して数日を過ごし(この辺りも過去の記事をご覧ください)拠点となるジャングルハウスのすぐ傍にも流れるガンジス川。
川辺のニムビーチに行き、ラムジュラ橋で川を渡り、とガンジス川の雄大さと身近さを味わったのですが、あの時に見せて頂いた綺麗な川と比べるとどうしても濁った印象が強く、それならさらに上流まで行ってみようという思いは増すばかり。


そしてついに今回、聖地Devprayug(デヴプラヤグ)を訪れます。

後に掲載した動画でも詳細を書いていますが、まずはざっくり説明。

ガンジス川は全長2500kmを超える長大な川。
ヒンディー語では「ガンガー」と呼ばれ神聖な存在。
ちなみにガンガーは川の女神の名前でもあるらしいです。

ちなみにヒンドゥーの神話は多神教らしく、ギリシャ神話や日本神話のようでちょっと調べてみるだけで面白い(興味深い)エピソードが多いです。

素人調べで恐縮ですが、その一部についてざっくり書いてみますね。
誤読などが含まれている可能性がありますので参考程度に。


川の女神ガンガーにまつわる話

昔々サガラ王という偉大な王がいて馬を使った儀式を行っていたが、その馬が行方不明となったので、6万人の息子を使って探させた。
賢者カピラが盗んだと勘違いした息子たちは、賢者カピラの怒りを買い焼き払われてしまう。

サガラ王は孫のアンシュマンを賢者カピラに送り、彼らの魂を開放する術を尋ねると賢者カピラは「天界を流れるガンガー(川の水)だけが彼らの魂を開放できる」と答える。

アンシュマンの孫であるバギラタは敬虔に修業を積み賢者となり、
ついにヒンドゥー教の最高神の一体であられるブラフマに認められ
天界のガンガーを地上に遣わせる許可を得る。

しかしガンガーが地上に降臨すると、そのあまりの強大さに
地上が崩壊してしまう。
ガンガーを受け止められるのは
(こちらもヒンドゥー教の最高神の一体である)シヴァだけである。

バギラタはシヴァに願いを捧げ聞き届けられ、シヴァはその豊かな髪の毛でガンガーを受け止め、ヒマラヤに注ぎ込む。

バギラタの先祖(サガラ王の息子たち)の魂は、このガンガーによって遺灰を清められ、魂が開放され天に昇ることができた。
それ以来ガンガーは神聖な川として人々の魂を救い、恵みを与えている。

こんなお話でした。
今でもインドでご遺体(遺灰)をガンジス川に流して弔うのは
こういった神話が元になっているようですね。



さて、そんなガンジス川(ガンガー)の最初の一滴は
ヒマラヤ南部ガンゴートリ氷河から溶け出した雪解け水で
まさに川の始まりのその辺りはゴームク(牛の口)と呼ばれています。

ですが、このゴームクから流れ出ている水が作りだした川は
ガンジスではなく「バギラティ」という名前。
そう、神話の中に出てくる賢者バギラタの名前から来ているのです。

※ なお、地名表記は複雑になるので
カタカナで表記することが多いですが、多少の表記揺れを含みます。


この氷河から流れ出したバギラティ川は
200km(支流を含めると約450km)地点でアラクナンダ川と合流します。

そしてこの2つの川が合流した後の川をガンジス(ガンガー)と呼ぶのです。

よってガンジス川の最初の一滴、というと源流であるバギラティ川の始まり、ゴームクを指すのが一般的ですが
地図上ガンジス川が始まっているのは、この2つの川の合流点を指し
この合流地こそが、今回訪れる聖地デヴプラヤグなのです。


※ ちなみに、水文(すいもん)学的には
長さと流量の点でガンジス川の源流はアラクナンダ川の方になるのですが
神話も含めヒンドゥー教的にはバギラティ川の方を源流とみなすようです。


では、リシケシュから車で2時間、デヴプラヤグへの旅です、どうぞ。


ちなみに今回訪れたこのデヴプラヤグには
川のすぐそばに、洞穴のようになっている箇所がありました。

最初は祠みたいなものかな?
日本でいうお地蔵さんみたいな、なにかお参りしていくものなのかな?
と思っていたんですが、ケワルさんの説明によれば
ご家族や大切な人を亡くされた方が、その穴居で過ごす(喪に服す)とのことです。

神話から今に至るまで、神聖な存在として
人々の魂を救ってきたガンジス川の起点、その川のすぐ傍で
洞穴のような中で、大切な人を亡くした方々が
その事、そして自分自身の思いと向き合い、喪に服して暮らすとは
何とも言えない重さ、ガンジスへの思いの深さを感じたのでした。

そういえば古代中国は斉の晏嬰も、父・晏弱の死に際し
自らの屋敷のそばに掘っ立て小屋をつくって住み
3年の間、粥だけを食べて質素に暮らし、喪に服した、という話がありました。

どの国、どの地域にもそれぞれの文化や歴史がありますが
服喪の礼は、時代や状況の変化はあれど、そこに暮らす人々の
死生観が表れやすいものの1つでしょう。


さて、今回、聖地デヴプラヤグを訪れ
ガンジス川の始まりをしっかりと感じたわけですが
神話がルーツでもあるこのバギラティ川をたどり
さらに上流の聖地ガンゴートリを訪れるべく
この時、既にさらに次の旅を計画しているのでした。