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冥王星がみずがめ座に移動!やぎ座の私にこの15年で起きたこと!



はじめに

ついに!ついに!この時が来ました!
2023年3月23日に冥王星がやぎ座からみずがめ座に移動。
(ここからやぎ座とみずがめ座を行ったり来たりして、完全な移動は2024年11月になり、そこから約20年間みずがめ座に滞在するといわれています。)

この瞬間を私は首をなが~くして待っていました。
そう、私はやぎ座のやぎ子なんです。
15年もの長い間、冥王星はやぎ座に滞在していました。
この15年、ほんとにほんとに苦しかった。

「冥王星が滞在って何?」「移動って何?」
と思っている方には申し訳ないのですが、私は専門家ではないので、詳しい説明はできません。
でも、冥王星の移動によって世の中も大きく変わると言われています。
みずがめ座は「自由」「平等」「IT]「ネットワーク」などをつかさどる星座なので、最近話題の「ChatGPT」なんかも冥王星の影響を受けているかもしれませんね。

ここでは、この15年、やぎ座の私が経験してきたことについてお話したいと思います。
全部、苦しかった話ですし、特に役に立つお話でもありませんが、興味のある方はぜひ、最後までお付き合いください。

ずっと体調不良

思い起こせばちょうど15年前、私は突然「百日咳(ひゃくにちぜき)」という病気になりました。
その名の通り、100日間、咳が止まらないという病気です。
呼吸困難になるほどの咳の連続で肋骨まで痛め、その痛みにももがき苦しみ、地獄のような100日間でした。
(いや、ぴったり100日だったわけではありませんが)

そして、その2年後、初めて受けた子宮がん検診でひっかかりました。
病院から検査結果に異常が出たので至急来るようにと電話があり、怖くて怖くて震えが止まらなかったです。
幸い、がんになる一歩手前の状態で、経過観察で済んだのですが、正常な数値に戻るのにここから2年かかりました。
(特に治療することはなく、幸運なことに自然に正常に戻りました。)

そして、その2年後、「関節リウマチ」を発症しました。
その前年が2011年で、東日本大震災があった年です。
震災については後述しますが、震災のストレスや疲れが原因だったのかもしれません。

副作用の強い薬を2年ほど飲んで寛解(かんかい)と言われましたが、その後、手の指の関節がまた痛み出し、病院を転々としてやっと「へバーデン結節」という病気だとわかりました。
指の第一関節が変形していく病気で、更年期の女性に多いといいます。
治療法はないので、今も変形や痛みと付き合っています。
(自己流ですが、コーヒーなどのカフェインを控えることで痛みが軽減しました。へバーデンで悩んでいる方は試してみてください。)

さらに今から8年前の2015年、人生で初めて手術を経験しました。
これは本当に過酷でした。
手術後の痛みは想像を絶し、私的には出産をはるかに上回りました。
なぜ手術したのかというと、「子宮内膜症による卵巣嚢腫(らんそうのうしゅ)」で片方の卵巣を摘出するためです。

腹腔鏡手術だったのですが、麻酔から目が覚めた時の強烈な痛みは忘れられません。
痛みで体がガクガク震えて止まりませんでした。
看護師に「寒い?寒い?」と何度も聞かれ、意識が朦朧とする中で、必死に「いたい・・・いたい・・・」と訴えた記憶がありますが、気づいたら病室のベッドの上でした。

次の日、とにかく動けば激痛。当然歩けない。
なのに、看護師から「病院内にあるコンビニに行って帰ってきて」というミッションを課され、点滴にしがみつきながら、必死にリハビリをしたのを思い出します。
(腹腔鏡手術でこんなに痛いの?と思いましたが、私の場合、内膜症による癒着があり、その剥離も行ったためかもしれません。)

付き添ってくれる人もいなかったので(2013年に離婚しています)自分で洗濯もし、手術3日後には退院というハードスケジュール。
(退院して自宅に帰っても家事をしてくれる人もいないのに~)

入院も退院もひとりぼっちで、帰りのタクシーに乗ろうとしても、足が上がらなくて乗り込めなかったとき、運転手さんが「ゆっくりでいいよ」と言ってくださったときは、泣きそうになりました。

そして手術もむなしく、2017年頃、子宮内膜症が再発
残していたもうひとつの卵巣が大きくなり始めました。
どうして両方取らなかったのか?
当時45歳、両方取ってしまえば更年期症状に苦しむことになる、再発のリスクはあったけれど、更年期は少しでも遅いほうがいい、というのが主治医の判断でした。

ここから生理を止めるためのホルモン療法が始まります。
これが、更年期との闘いのスタートになり、現在進行形なわけです。

いや~、書いていて自分でもよく頑張ったなと思いました。
なぜか、完治しない病気にばかりなるので、今は子宮内膜症と更年期、へバーデンを抱えて生きています。

東日本大震災

(あの日のことは別記事にして投稿しようと思っていますので、ここでは簡単に)
私は宮城県仙台市に住んでいます。
海の方ではないので、津波による被害はありません。
でも、あれほどの恐怖は人生で初めてだったし、これから先も絶対したくない経験です。

無我夢中でした。
電気がつくこと、食べ物がスーパーで買えること、お風呂に毎日入れること、教室で授業を受けられること、トイレを流せること、水が蛇口から出ること。
当たり前のことが全部なくなりました。
私の地域は比較的被害は少なく、電気は3日後くらいに復旧して、家もマンションですが、住むのに支障はなかったので幸せなほうです。
それでもやっぱり、辛かったですね。
これはやぎ座に限らず、ほんとにみんな頑張りました。

離婚してシングルマザーに

2015年に離婚しました。
結婚して19年、娘が中2の時でした。
理由はここでは詳しく触れませんが、私が関節リウマチを患っている時で、自分の体のことでいっぱいいっぱいで、夫婦の問題に向き合う力がなかったんです。
限界を感じた私は、自分の体を治すことに専念したいと思い、離婚を決意しました。

体の痛みと闘いながら、たくさんの弁護士に相談し、最終的には弁護士なしで一人で調停を申し立てました。
裁判所の待合室では、ほとんどの方が弁護士同伴で一人なのは私ぐらい、心細かったですね。
女性ばかりの待合室では、弁護士と何か話しながら泣いている人も多くて、みんながみんな離婚ではないと思うけど、苦しんでいる人がこんなにいるんだと、自分もその一人なのに同情したりして。

まさか自分が調停を起こして裁判所に通う日が来るなんて、結婚したときは夢にも思わなかったけど、またひとつ貴重な経験ができたな~、なんて。
いや、当時はそんな風に思う余裕なかったですけどね。

仕事が続かない

というわけで、シングルマザーになった私ですが、専業主婦だったので仕事はありませんでした。
リウマチのあとすぐに子宮内膜症が悪化して手術することになったので、働き始めたのは手術した年の暮れからでした。
2015年12月から始めた仕事は、宮城県の助成金事務センター。
大量に届く申請書類をチェックする仕事で、はじめから期間は決まっていたので、約5か月間なんとか働きました。
しかし、慣れないことをしたせいか、この後、前述の通り子宮内膜症が再発してしまいました。

内膜症の治療がホルモン療法だったので、副作用でまたしばらく働けず、次に働き始めたのは2018年5月、大きなスポーツ量販店(?)でネット上に載せる商品情報の入力作業をするという仕事・・・のはずでした。
時給は安いけれど(当時800円)、近いし曜日も選べるし、6時間労働だし、座っていられる仕事だし、とこれなら私にも出来るかもと思ったのですが、ふたを開けてみれば、ずーっと立ってる、歩き回ってる、重いダンボール持ち上げてる、で毎日汗だくになってました。
倉庫内の作業が多くて、夏になるととても暑い!!
結局、体力のない私は夏を乗り越えられず、8月の中頃に辞めました。
特に引き留められることもなく・・・。

2019年3月、今度は派遣会社に登録し、派遣社員として働き始めました。
と、その前に実は私、もともとはSE(システムエンジニア)でシステム開発なんかをしてたんです。
といってももう20年も前の話、ほとんど忘れてます。
倉庫の仕事を辞めてからすぐ、パソコンスクールに申し込んでjava(ジャバ)という言語の勉強をしました。
本当はweb系の勉強をしたかったのですが、スクールの先生が言いにくそうに「web系の仕事は年齢の壁が・・・」と。(当時48歳でした)
コロナ発生前で、今のように在宅勤務が当たり前じゃなかったころ、フリーランスで働くなんて考えは、私の中にはこれっぽちもなかったんです。
勉強しても採用されないなら仕方ないなとあきらめたんですが、今となってはやっぱりweb系だったかな~とも思います。

派遣会社にもIT系の会社を希望したところ、すぐに紹介されたのが、通勤に1時間かかる会社で、仕事内容が(営業さんの説明が)いまいちはっきりしなかったのですが、javaも使ってる会社ですと。
このjavaというワードにまんまと騙され、働き始めたわけですが、結局使うのはエクセル、javaのジの字もなかったです。

まぁ、それはいいのですが、問題は「残業」と「パワハラ」でした。
残業は少しくらいなら出来るかな~、と軽く考えてたのですが、なにせ通勤1時間、帰ったら洗濯機回して、ご飯の用意して、風呂入って寝る。
朝は5時に起きて、掃除して、洗濯機に洗濯物入れといて、朝ご飯食べて、身支度して、7:50に家を出る。
まったく体力のない私、ギブアップするのにそう時間はかかりませんでした。

加えて上長のパワハラ。
隣の席の派遣の子と少し長めの雑談をしていたら、メールが届きました。
「おしゃべりが長いですが、仕事に関することですか?」
デュアルモニターの隙間から私たちを監視していたようです。
そもそもこの会社、まったくと言っていいほど雑談がない、社員の笑顔がない、聞こえるのは上長の叱責の声ばかり。
派遣会社の担当者がまったく対応してくれず、辞めるためにも散々戦って、ボロボロの状態で8月にやっと退職できました。

この最後の経験がトラウマになり、また、コロナ時代も始まり、働けないまま現在に至る、というわけです。

家を売るという大仕事

さて、コロナが始まり、世界がどうなってしまうのか、いつ終息するのかと不安な毎日を過ごしておりましたが、なかなか働けないこともあり、ここへきて住宅ローンというものが重くのしかかってきました。

離婚した際、マンションの持ち家があったのですが、私と娘が住み続けるという形にして、数年は夫も住宅ローンを払ってくれていました。
ですが、娘も社会人になり、養育費も終わって、夫からの送金は昔私の親が立て替えた借金の返済のみ。
それを住宅ローンにあててなんとか返済していたのですが、コロナで先行き不透明で不安になり、2020年、コロナ真っ只中に家を売ることを決意しました。

決めるまでは長いけど、決めたら猪突猛進な私。
さっそく見積もりを出してもらい、売りに出しました。
が、そこはコロナ禍。
引っ越したい人がいない。
不動産が動かないのです。
なかなか見学に来てくれる人がいないので、値段を200万くらい下げました。

結局、見学に来てくれたのは4組で、購入希望は1組だけ。
それ以上は見込めないということで、少々時間はかかりましたが、無事売却することはできました。

夫とお金を分けて、これで金銭のやり取りはなくなり、すっきり~!
したのは良かったのですが、私と娘の引っ越し先を探すのが思いのほか大変でした。
娘は就職して2年ぐらい、私はご存じの通り無職です。
それでも家を売ったので、まとまったお金もあるし、賃貸を借りられるだろうと思っていたら、甘かった。

仙台の不動産屋、まだまだ古い、厳しい。
保証会社を使ってもなお、保証人が必要だというのです。
私には保証人になれるような身内がいません。
ついに、路頭に迷うのか、と思ったとき、救世主が現れました。
売ったマンションの不動産会社です。
無職でも、保証人なしでもいいと言ってくれました。
よかった~
分譲賃貸になるので、家賃はお高めですが、家賃交渉までしてくださって、なんとか住む場所を確保できました。
ほんとに、家を売るのも、引っ越すのも大変でしたね~。

あ、そうそう。
賃貸物件を探しているときに、不思議なことがあったんですよ。
2件内覧に行くことになって、1件目に行った部屋がロックされてて開かなかったんです。
鍵は開けられるけど、もうひとつ、ひっかけて開かないようにするのがあるじゃないですか。(昔はチェーンだったやつ)
あれが閉められていて開かないんです。
誰もいないはずなのに・・・
不動産屋の方も「これはドアを壊すしかないかなぁ」なんて言うくらい、初めての出来事だそうです。
結局、なぜそうなったのか聞く機会もなく、私の中では謎のままですが、これは「ここには住むな」というメッセージだろうと思い、もうひとつの物件に決めました。

眠れない

さて、引っ越しも無事終わり、新しい生活がスタートしました。
ニトリで買った家具は2か月待ち。
電子レンジも炊飯器も床に置いて、食器棚もないので食器はとりあえず紙皿や紙コップ。
前より狭いけど掃除が楽だし、ちょうどいいな。
前の家は騒音がひどかったけど、今度の家は静かで夜もよく眠れるな~。

なんて言ってたら、
引っ越して3か月後、突然!ほんとに突然!
眠れなくなりました。
俗にいう更年期の不眠ってやつです。
むしろそれまでは寝ても寝ても眠くて困ってたのに、まさか不眠になるとは。

一般的に言われている快眠のための行動、もちろんやりました。
カフェインとかスマホとか枕を替えるとか。
でも、私の更年期にはまったく関係ないみたいです。
何をしようが、眠れるときは眠れるし、眠れないときは眠れない。
睡眠薬も飲んでみました。
飲んでも眠れないときは眠れない。
夜中に目が覚め、トイレに行こうにも足に力が入らない。
かえって危険なので睡眠薬はやめました。

婦人科にも相談しました。
睡眠薬も漢方薬も飲みたくないと言ったら、ホルモン補充療法しかないけど、私の場合は子宮内膜症が悪化する可能性が高いですと。
ホルモン補充もあきらめました。

もういいや!
あと何年か知らんけど、とことん更年期と付き合っていこう!
毎日、眠れるか眠れないかは神のみぞ知る、という生活をもう2年続けています。
冥王星が移動することで何かが変わるなら、一番の願いはこの「不眠からの解放」です。

おわりに

書き始めたときは、こんな大作になるとは思いもしませんでした。
気づいたら6000文字を超えていました。
読んでくださった皆様、ありがとうございました。

もちろん、ここに書いたことがすべて、冥王星がやぎ座に滞在していたせいかどうかはわかりません。
これから滞在するみずがめ座の方たちに警告したいわけでもありません。
あくまで個人的な感想です。
大変だったけど、きっとその分、成長もできたんだと思ってます。
すべては成長するため、進化するための試練だったのかもしれません。
冥王星は「破壊と再生の星」だそうですから。

ただ、この冥王星の移動がきっかけになって、なにか重いものから解放されるような、心が自由になれるような変化があればいいなと思います。

私自身にも、そして世界的にも。


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