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愛しこども


さっちゃんが、死んだ。
さっちゃんはいつも遠くから私を笑わせてくれた人だ。
私は田舎に暮らしていて、今もそれは変わらない。通う場所が学校から仕事場になり、住む場所が少し、小さくなっただけだ。
私は最初、幼稚園の先生になった。子どもが昔から好きだった。可愛くて、素直で、動きが面白い。

印象的なことがある。短大時代、はじめての幼稚園での実習で、大勢の子どもたちが遊んでいる姿を見た。「かわいい!」と思わず言葉が綻ぶと、すぐそばにいた指導係の先生に「可愛い、なんて言わないでください。そんな感覚では先生になれません。」というような事を言われた。
私はびっくりした。この先生は、子どもたちをかわいいと思わないのだろうか。かわいいと思うことは、愛しいと思うことだ。その気持ちを否定されることがあるとは思わなかった。
私は「すみません」と言い、2週間の実習をびくびくしながら過ごした。

果たして私は、実際に幼稚園の先生になったのだが、なるほど「かわいい」感覚だけでは務まらない仕事であった。
幼児期の子どもたちに何かを教える、ということの責任の重さに打ちのめされた。良いこともあまりよく無いことも、子どもたちはどんどん吸収していく。無邪気な好奇心は、大人の想像に収まらずにはみ出し、気を抜いたところを他の大人に指摘され否定された。自分なんかが教えられることなど何も無いと自信を失うことの連続だった。多少、傲慢にさえなってしまった時期もある。
8年間、やった。そして、もうやめようと思った。辞めようと思ってから、「やっぱり子どもはかわいいな」と心から思えた。そして、その気持ちを失っていた8年間を振り返り後悔した。私も結局そうなってしまったんだ。なりたく無いと思っていた心になってしまったんだ。
かわいい、愛おしい、大好き。いつだってその気持ちが最良の愛ではなかったか。最重要事項ではなかったか。歌が下手でもピアノが下手でも運動ができなくても工作が下手でもよかった。仲間ができなくても声が小さくても喧嘩しても好き嫌いがあっても、別に良かったのに。生きてるだけで良かったのに。
あと味はあまりにも薄く、私の心に何も残さなかった。

私が放った言葉によって育たれた何百かの生命体が今もどこかで誰かの言葉を吸収し、益々肥大化し硬くなっていっている事を想像し、時々ぞっとする。同時にもう自分の知ったことでは無いと思うこともでき、胸を撫で下ろした。

今、私はハンバーガーショップのレジに立っている。素早く正確に注文を聞き、丁寧でハキハキと喋る事を意識しながら。笑顔を見せることも苦では無い。単純だけど様々な人間と交わされる数分間がある。それが気に入っている。

さっちゃんが、死んだ。
いつも遠くから、私を笑顔にしてくれた。
さっちゃんはいつもやけに元気で大きな声で陽気にみんなを笑わせていた。私たちも昔から、さっちゃんたちの真似をして笑い合った。
こんなものか、と思う。
私は本当のさっちゃんを知らないけれど、その事実はとても悲しかった。そして恐らく、実際のさっちゃんと言葉を交換し合い、吸収し合った人たちは更に悲しみが深いだろうと推測した。

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