ジリツ


自律と自立どちらも含めたジリツについての思考


私はここ3年くらい「ジリツ」をどう表現しようか考えていた。

私にとってジリツとは、ジブンを育むこと。

よく聞く「早くジリツしなさい!」ってセリフ。日本では、というか私の知ってる日本ではあるタイミングで急に「ジリツ」を急がされる瞬間があった。

私にとってのタイミングが20歳だった。社会人になるか、大学生になるか。その二択だった。迫っていた。見えない大きな波が後ろから追ってくるような日々。

自分で自分を急かしていたんだと思う。
そして周りの何気ない言葉にも急がされていたんだと思う。

私は今インターン先で、ジリツをキーワードにしたサービスをお手伝いしている。だから私にとってジリツを自分の言葉で表現することは必要だった。

生き方には生きてる人の分だけあれば
ジリツの仕方も人の分だけある。
そしてジリツの表現も人の分だけある。
少しずつ違う人の表現を知り、自分との共通点や違いを知ることを私は興味深い(オモロい)と思う。言葉という表現が、たった一言を聞くだけでその人のそれぞれのストーリーを知れるから。

ジリツは扉を開いたら目の前に新しい世界が、、、なんて一瞬ではない。死ぬ時にはそのように短くなるかもしれないが。ジリツとは、育むこと。

木を自然に育ててもいいし、人工的に育ててもいい。結果生きているから。

その生きるという結果に行き着く過程を、“自然的がいいのか”“人工的がいいのか”という違いだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?