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創業からニッコーバン誕生までの歴史を振り返ってみる

昭和27年の創業以来、「絆創膏を通じて、多くの人の”働く”を支えたい」という想いで、絆創膏ひとすじにやってきた日廣薬品の奥山と申します。

早速ですが、当社は本年5月に、創業70周年を迎えます。そこで今回の記事では、当社の創業期からニッコーバン誕生までの歴史を簡単に振り返ってみようと思います。

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創業期のベンチャー魂

前述した通り、当社の創業は昭和27年です。設立当初は、配置販売業向けに、画像のような巻いた絆創膏(セロハンテープのようにグルグル巻いてあるタイプ)の製造が主な事業でした。

現在も製造販売しているシロバン

配置販売業とは、各家庭などに薬箱を置いてもらい、次回訪問時に使った分だけの料金をいただく形態の業種です。昔は、“越中富山のくすり売り”、現在でも、“富山の置き薬”として有名ですよね。

なぜ配置業向けに?実は、当社の創業者は富山の出身なのです。

<現社長の金尾の記事はこちら>

創業期の苦労話として、安定した粘着剤を生産することが技術的に難しく、事業が安定するまでのしばらくの間、チョコや飴・ガムを販売して、食い扶持を稼いでいた時代もあったようです。

ベンチャースピリット溢れる逸話で、個人的に大好きなエピソードの一つです。

ニッコーバンの開発秘話

もともと、日本には救急絆創膏というものはなく、傷口はガーゼなどで押さえ、テープで固定をする方法が一般的だったようです。

今では身近であたりまえのものですが、外国から救急絆創膏が輸入された当時「こんなに便利なものがあるんだ!」とびっくりしたそうです。

そこで「当社でも救急絆創膏を開発しよう」と研究が始まりました。

当時の技術者がいろいろと検討した結果、まだ日本のメーカーが製造をしていなかった【伸縮布】を素材とした救急絆創膏の開発にトライすることに。その当時、伸縮布製の商品は、輸入品の1品しか種類が無かったようです。

さて、布を素材にすることは決まりましたが、なかなか良い物がありません。結局、紡績会社と共同で研究・開発をすることになりました。

当時、紡績会社側も、救急絆創膏への転用ノウハウがなかったそうで、紡績会社の担当者、卸売の担当者、日廣薬品の担当者は頭を悩ませます。

開発は本当に時間がかかり、大変だったそうですが、試行錯誤の末に救急絆創膏用の生地が完成します。

紡績会社と共同開発した生地

奥深い粘着剤の世界

布の研究開発と同時に、もうひとつの重要な要素である、「粘着剤」の研究も行われていました。

「粘着剤」とひとくちに言っても、非常に奥深いもので、良いものができたと思っても、肌には全く貼りつかなかったり、反対によく貼りつくけれども、粘着剤ごと肌に残ってしまったり。

さらに、作った直後は調子がよくても、1年後にはダメになっていたりなど、研究は困難を極めたようです。そして配合が決まっても、まだ難関が待ち構えます。

はくり紙(使う際にはがす、絆創膏の粘着面側についている紙のこと)が、粘着剤にくっついてしまっていたり、逆に、はくり紙のシリコーンが粘着剤側に移行してしまい、肌につかなくなってしまうこともあったようです。

そしてそして、様々な難関を乗り越えて、ついに伸縮布製の救急絆創膏を開発することに成功します。

商品名の由来

次なる課題は商品のネーミングです。何種類かの候補はあったようですが、最終的に、社名+バン(絆創膏のバン)に落ち着きました。

実は、このネーミングには理由がありました。

今もそうですが、発売当時は更に無名な会社で、日廣(廣の字、正しくはまだれの中は甘寅ではなく黄)を「にちひろ」と言われることが多かったそうです。取引先の相手とお会いした時に「にちひろさん」と呼ばれることが悔しくて、残念で・・。

『ニッコーバンを広めていけば、「にちひろ」を「にっこう」と正しく覚えていただけるのでは』と、当時の営業部長が考案したようです。

ということで商品名は【ニッコーバン】に決定!

紆余曲折、試行錯誤をへて、昭和47年に伸縮布製の救急絆創膏、ニッコーバンが誕生します。

昭和51年当時のパッケージ

営業活動は苦労の連続

いよいよ販売開始です。今でも簡単ではありませんが、発売当初の営業活動は、まさに苦労の連続だったそうです。それはそうですよね。顧客である薬局さんにとっては、海のものとも山のものともわからない商品です。

どのようにして薬局さんに取り扱っていただくようになったのか?

現在は合併で変わってしまいましたが、以前は各県に1社以上、地元の卸さん(医薬品商社)がありました。この卸さんは、毎週・毎日、お得意先である薬局さんを訪問しています。

卸さんのご協力を得ながら、一緒に薬局さんを訪問させていただき、一軒一軒、ニッコーバンを紹介していったのです。飛込みでは話も聞いてもらえないこともありますが、地元の卸さんと一緒なら大丈夫。ご案内、ご説明くらいはさせてくださいます。

あとはニッコーバンのよさを全力でアピールし、絶妙のタイミングで卸さんのフォロー。新規での取り扱いをいただく機会に恵まれました。

コツコツと、地道な営業活動を継続しながら、お取扱店を徐々に増やしていきました。この拡販に際し、本当にお世話になった卸さんが多く、ご協力いただいた営業さんには深く感謝しています。

画像:昭和44年当時の販促物

今回は、創業時代のエピソードや、ニッコーバンの開発ストーリーについて振り返ってみました。

まだまだ語りつくせないエピソードもありますので、時間を見つけて書き綴っていこうと思っています。ここまでご覧いただき、ありがとうございました!

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