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争わない心

争いの心は
なぜ生まれるのでしょう

恐怖
憤怒
私利私欲
強欲
不安
憎しみ
妬み

正義
支配

考えられることは
様々にありますが

この辺にして...

個人と個人
団体と団体
国家と国家など
(入れ替わることも)

さまざまな葛藤の中で
自分の思い通りに
ことが運ばないと

そこに負の感情や
ストレスが生まれ
争いの火種となる
可能性が潜んでいます



特にSNS上のやり取りで
論争がはじまると
終止がつかなくなるのを
みかけたことが
あるかと思います

いわゆる
炎上というやつですね

またやってるなぁと
無関心、傍観者に
なるのは簡単です

火の粉が
飛んでこないように
その場から
逃げる人もいるでしょう

褒められたものでは
ありませんが油を注ぐ人も
中にはいるかと思います

そういう場面には
その人の癖というのが
よく見えてくるなぁと
思ったりもします

ただ生きていれば
多かれ少なかれ
負の感情が出てくるのは
人間として自然な
働きともいえます

負の感情がわるいと
言いたいわけではありません

そこに
争わないという気持ちが
きちんと根付いているかどうか

社会や環境がそうであっても
自分の心の中に優劣をつくらない
必要以上に他と比べたりしない

自分というその心内に
和平が育まれているかどうか

自らの感情の均衡を
保つためにもこれはとても
大事なことではないでしょうか

+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+

戦いゆきても戦うな
その心までに戦うな

+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+

以前こう言った
とある志士のお言葉を
聴かせて頂くことがありまして

私たち人間は
武力や恐怖で相手を
動かすこともできれば

言葉や文章を持って
相手と分かち合うことも
できるわけです

争いの心は
自分の心に内在するものが
映し出している鏡のようなもの

分かった気に
なってはいけませんが

人のお身体を
見させてもらいながら

対話をしていると
そう思うことがあります

太平の世に
心の剣は必要なきものです

和平の心
争わない心を育む

言葉が届くのを信じて
今日も標された道を共に
前へ前へ進みたいと思います

最後まで
ありがとうございました


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