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「生きてるだけでえらい」極論に救われる

私が最近YouTubeで観ている方が、動画内で話していた言葉です。

この言葉って、前にも何回か聞いたことがあって、その度に「ほんとにそうなのよなあ〜」と思っていました。

私が最近みたその動画は数ヶ月前に投稿されたものなのですが、この間改めてその言葉を聞いて、やっぱりこの極論に救われました。

その方も、お友達に言われてハッとしたらしいのですが、動画内で、

「プラスマイナスの位置を『生きてるか生きてないか』に置いておけば、生きてる限りプラスが積み重なっていくだけ。みんな生きてるだけですごいんです。」

という話をされてました。


どうしても、普通に生活しているだけで、色んな「常識」を察知してこなしていくことになります。

外ではやらなければいけない課題や仕事を期限に間に合わせて、先輩や後輩、上司や部下に気を遣ってやりとりをしないといけない。買い物をするときはレジに並んでポイントをつけてもらって、店員さんに「ありがとうございます」と言ってお店を出る。
家に帰っても、たまった洗濯物を済ませて、ご飯を食べて、お皿を洗って、お風呂にはいって、歯磨きして、ストレッチして、明日の準備をちょっとして、0時をまわる前には寝よう。

こうやって、人は1日で数えられないくらいのことを考えて、そして動いてます。

ほとんどの人が「そんなことは当たり前」「別にすごくなんかない」って思っている気がします。

でも、ぜんぜん当たり前じゃないし、すごいんです。

大人にならないといけない、迷惑かけないようにしよう、嫌なものを嫌いなままじゃだめなんだ、めんどくさいって思うなんてわがままだ、やるべきことはしっかりこなしていくのが平均点なんだから平均点を下回らないようにしないと、、、みたいに、自分の中の「当たり前」のレベルが上がりすぎちゃって苦しくなったら、『生きてるだけでえらい』という極論を堂々と持ち出していいと思います。

「人生は加点方式で、生きてるだけでボーナスポイントがちゃりんちゃりん増えていくんだから、私既にめちゃめちゃすごいんじゃん?」って。
抱えてるぜんぶの常識を無責任に捨てても、別にいいじゃないですか、って私も思うし、そう思いたいです。

だれかに言ったら怒られちゃいそうだけど、そもそも苦しむために生きてないしな〜とか、人に気を遣うのとかめんどくさ〜とか、呟いちゃっても、罪悪感を感じる必要はないはずです。それに、嫌なことを嫌だと感じるのは、避けたくなるのは変なことでもなんでもないです。


『生きてるだけでえらい』

この極論は、根拠がないように見えて、自分の無責任で非常識な気持ちをぜんぶ受け止めて、心のガードになってくれる言葉なんだな〜

というお話でした。

ここまで読んでくださってありがとうございました。

では。

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