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“組織風土の問題”という思考停止――頻発するガバナンス不全の背景を考える

三菱電機による鉄道用装置の不正検査問題は経営トップの辞任表明に至った。東芝をめぐる経営の混乱も根深い様相をみせており、日本を代表する総合電機メーカーで相次ぎ、ガバナンス不全が起きている事態は深刻だ。僕自身は、一連の事件に対する報道、会見などの様子をみていて、それを長年に渡って染みついた「企業風土、企業文化の問題」ととらえる向きが多いことに違和感を感じている。曰く「縦割りで事業部の力が強く、ほかの事業部に口を出さない風土」「現場の技術に対するある種の過信があって、対外的な説明をないがしろにしてしまいがちな企業文化」――といった指摘である。しかしそれを風土や文化の問題としてしまうのはある種の“思考停止”であって、事態の改善に役には立たないのではないかーー。人間の組織である以上、不正や失敗を隠ぺいする体質みたいなものはある意味では避けられず、それをチェックするために企業経営における「監督と執行の分離」という仕組みが議論されている。いわゆるコーポレートガバナンスだ。だが、どうもごく一部の企業を除いては「監督と執行の分離」という本質は見落とされ、「独立社外取締役が何人必要か?」などの形式論に陥ってしまっている印象がある。

7月1日(木)、日経CNBC朝エクスプレスにゲストで出演していただいた日本総合研究所理事の山田英司さんは「海外、特に米英企業と日本企業の間にはガバナンス構造に根本的な違いがある」と指摘する。

21.7.4 米英と日本の違いIMG_1251 (1)

その根幹が監督と執行の分離だ。米英企業で社外取締役がほとんどを占めるのは、それが監督に徹しているからであって、業務の執行は社業に精通した執行部が進める。よく「東芝には社外取締役がたくさんいて、にも関わらず監督が機能しなかった。従って社外取締役は万能ではない」などと言われることがあるが、多分的外れだ。社業に精通しているわけではない社外取締役が監督できる範囲には自ずと限界があって、その大前提として業務を執行する側が、最大限正しく、経営を進めていることが必要だ。業務が不正なく、正しい方向で執行されているかを支えるのは、いわゆる内部監査制度といった仕組みであり、「執行に対する適切な監督と、適切な意思決定を行う執行体制は経営の車の両輪」(山田さん)というわけだ。

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日本企業では、法律上も取締役会が最高の意思決定機関として位置付けられており、重要な意思決定は避けて通ることができない。形式上取締役会の権限を強化してきた結果、業務執行の面で迅速な意思決定ができなくなったり、また不正については一段と隠ぺいするような悪循環が起きているのではないかーー。形式上の取締役の機能強化は、そもそも監督機能が弱いうえに、本来持っていたかもしれない業務執行、内部監査の力も弱めてしまっている可能性がある。あくまで企業によってはではあるが……。

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同時に進んでいる東証市場再編――。大きな狙いは「海外投資家により活発に投資に参加してもらうこと」(山田さん)だ。であるならば、米英企業が慣れ親しんでいる監督と執行の仕組みを理解しないわけにはいかない。完全に同じ形式をとらないまでも「監督が機能するような仕組みがどうなっているのかを説明しなければならない」わけだ。コンプライ(受け入れる)ORエクスプレイン(説明する)――。この場合、「日本では(当社では)このやり方ですから……」では納得は得られない。

「取締役が出世の最終ゴール」というようなそれこそ企業風土があることを考えると、なかなかに根深い問題である。もちろん、日本企業の中でもガバナンス改革に成功し、それが企業業績に結び付いている例もある。総合電機の中でも日立製作所のこのところの評価への高まりの一つの背景は、ガバナンス改革だろう。ただ、日本企業全体としてはまだまだ道途上だ。

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