Se7enを観たよ!

胸糞映画として有名なブラピとモーガンフリーマンが刑事になるクライム映画だよ!
監督がゴーン・ガールとファイトクラブの人っていうのは後で知りました。
ゴーン・ガール家族で観てトラウマ植え付けられたんで納得です。

単純なグロはそこそこ平気なんですけど、スプラッタな絵面と胸糞展開って相性良いので今まで敬遠しておりました。

もちろん絵面は惨いんですが、7つの大罪になぞらえた殺し方なんで惨さもひとしおというか、よくこんな発想ができるもんだと感心します。

もちろん主人公たちも無関係ではありませんが、直接的な描写もなく終わったのは唯一の(視聴者的には)救いでしょうか。
その代わり煮え切らない気持ちで終わってしまったんでそういう意味では胸糞悪いですね。胸糞にも種類ってあるんですね。

さてキリスト教に関してはムッチムチのド無知で見始めたので「ほ〜ん七つの大罪になぞらえた暴徒の犯行なんだな〜〜〜〜〜〜」ぐらいに思っていたのですが、これが結構重要で失楽園だとか神曲とかの事前知識があるかどうかで随分と視点が変わるんだと思うんですよ

いつぞやでも書いた気はするんですが、海外作品見ていると宗教が深層にあるようなギャップを感じるんですよね。神仏習合?とか、八百万マインドが流れる日本人の感覚では気づけない捉え方があるんだろうなと思うわけです。

その辺勉強してからもう一度観たい作品です。

(以下ガッツリネタバレ)

初見でわからなかったのが、暴食のオッサンを皮切りに1日ずつ7つの大罪にあてはめた殺人を始めるじゃないですか、当初憤怒と嫉妬は誰の予定だったんでしょうか?

劇中ミルズに憤怒を当てはめようとやたら意識が向いていましたが、彼らは事件を通して知り合った関係じゃないですか(よね?)
あんだけ1年前から軟禁までして緻密に計画してたのに憤怒と嫉妬はライブ感で決めるってのが釈然としないんですよ

実は嫉妬がサマセットでミルズをなんやかんやで殺した後にサマセットも惨たらしく死ぬバッドエンドも(安っぽくなりそうだけど)予想していたんですけど
犯人とサマセットの関連性に触れる描写もないし、ここも相当薄いんでしょうね?

ほかの考察サイトを超要約すると「煉獄で7つの大罪を贖うことで天国へいける、犯人は一番罪の重い嫉妬を死をもって贖うことで浄化され、天国へ行きたかったのではないか」と書かれてあったので、「ほう!犯人自身は元々罪を背負いたかったのか」と思ったわけです

その贖う罪が「ポッと出のミルズの平凡な幸せを妬んだ事」なのがなんか弱いというか強引というか

「罪に対して適切な捌きを受ける」ことで救われたいんだったら、自分が幸福になることって割とどうでもいい気がするんですよ

幸せが欲しいというより、他人がのうのうと幸せになってるのが妬ましく思えたならワンチャン理解できる
他の殺人動機も割と簡単だったし
彼は敬虔さが暴走した信者とかではなく、歪んだ自己中なんでしょう。
つくづく彼は傲慢に当てはめた方が適切だと思うんですよね

もう一つ違和感があって、極論ミルズが独身でギャンブル狂い女遊びの激しい救いようのないクズだったらこいつ何で嫉妬する予定だったの?ってこと

自分の背負う罪だけやたら賭け要素強くない?

あれだけ他人の殺害には猟奇的なセンスを発揮しておいて、自分のことは動機から死に際含めて全体的に淡白だったのがすごい気になった、そこは一番綿密にする所だろうよ

彼の身元に触れる描写もないですし、
キリスト教徒かどうかすらも怪しいから
「元々7人ちゃんと予定立ててたけど刑事にバレた!よっしゃ憤怒は刑事さんにしてボクが嫉妬で贖ったろ!」
ってことなんですかね?個人的に「予定変更」で嫉妬と憤怒の対象を変えた説もわかるんですけど
それもなんかな〜

思った以上に信念に穴がある感じをうけました、これ割とガチでだれか解説して欲しいです
そういうモヤモヤもあるんで考察とか観ながら再チャレンジしたいところですね

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