自分を車に例えてみるとしっくりきた話
人はみんな、自分の意志で行動していると思っている。
その言葉を聞くと、「いや、自分の意志じゃないみたいに言わないで。自分で考えて自分で決めて行動してるでしょ」ってツッコまれそうですね。それが普通の考えですし、そう感じるようになってます。そうじゃないと意味がない。そうじゃなかったら、もはや他人の人生だもの。
しかし、そうでもないことがわかってきています。
心理学的決定論や受動意識仮説から導き出されるのは、「『私』とは、司令塔ではなく、観察者である」ということです。
普通、自分の行動は自分で考えたうえで選んで行っていると思っているし、そう実感していますが、その "自分" の中に、この記事を読んで「ニキチャコは何を言っているんだ」と思っている自分は含まれていないということです。
ふだんあなたが頭を使って考えて「今日の晩飯どうしよう」とか「明日仕事行きたくないな」とかやっている自分は顕在意識と言って、意識の表面にある上澄みのようなものです。
実際には、顕在意識の下にある無意識の部分が体を動かしています。
自分の意志よりも、先に無意識の方が0.35秒前に指令を出していることが分かっていて(リベット実験)、「自分」だと思っている意識は、無意識が決定した行動を「私がやると決めた」と後付けしているという説が有力です。
車で例えてみましょう。
顕在意識の「あなた」を顕在さんと呼びます。
無意識(潜在意識)のあなたを潜在さんと呼びましょう。
あなたという車を運転しているのは、実は潜在さんです。顕在さんはおもちゃのハンドルをもって助手席に座って自分が運転していると勘違いしています。
しかも普通は運転席と助手席の間に仕切りがあって、潜在さんの姿が見えません。
進む方向に合わせてハンドルを合わせているようなものです。
ですから、「右にいくぞ~」と顕在さんがおもちゃのハンドルを切っても潜在さんが何食わぬ顔でまっすぐ突っ切ったりして、「え?なんで!?もう!」ってなるんですね。
潜在さんは、入ってきた情報に対して、「こっちの方がいいよね」と判断して反応しています。それは今までに入ってきた情報から導き出した最適解なわけです。
だから潜在さんの運転が、顕在さんの思いとすれ違っても、ぜんぜん悪気はありません。
「ありがとう」って言いたくても言えないのも、仕方ありません。今までに手に入れた情報の中で導き出された最適解なので。
じゃあ、顕在さんの「私」には、もうどうにもできんやん。
と絶望するかもしれませんが、ちょっと待ってください。そんなことはありません。
自転車に乗れなかったのが乗れるようになったり、最初は手で数えていたたし算を暗算でできるようになったりするのと同じように、私達は学習することができます。
潜在さんに、「右行くんだよ! 右だって! 右! 右って言ってんじゃん! このパターンは右なのよ! わかったー?」と何度もインプットすることが、私達顕在さんの役目だからです。
何度も何度も潜在さんに新しい情報をインプットすることで、潜在さんも「このパターンならまっすぐじゃなくて右?」と行動を変えていきます。
だから、私達は「司令塔」ではなく「観察者」であり、観察者だからこそ、第三者的な視点に立ち、潜在さんにフィードバックすることができます。
このようにして、行動を変えていくことができます。
そのためには、まず「この体は私(顕在さん)が動かしているのではない」と気づいて仕切りの先の潜在意識に注意を向けること。次に、行動を変えたければ、新たな情報を何度もインプットすること。
がっかりするような行動を自分がしてしまうときには、「こんな行動をすることが最適だと判断するような人生を生きてきたんだな」と思ってあげてください。
そして、どんな思い込みがあるんだろう。と探ってみてください。
潜在さんは知っています。必ず教えてくれます。その思い込みを変えたければ「ちがうよ。だってね……」と新たな思い込みで上書きしてください。
一回では変わらない強固な思い込みもありますから、何度も何度も考えることでインプットしてみてください。
そして行動しましょう。潜在さんがアウトプットを続けていくと、それが当たり前になって、自分という車が進む方向が変わっていきます。
自分が生み出す反応のパターンが変わってきます。そのことによって起こる出来事も変わります。
あなたは自分の思い込みに気づき、フィードバックを続ける。
それだけで、あなたの現実はガラッと変わっていくでしょう。
生まれる行動は自由意志ではないけど、これから生まれる行動を設定し直すことはできます。
さあ、潜在さんと仲良くなって、あなたの都合よく自分の思い込みを変えちゃってください。
自分を車に例えると分かりやすくなった話でした。