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完全版「・・・未だに30万床のまま・・・」 日本の精神科医療100年を語る ―1950年~2050年 ―

【日本精神科病院協会雑誌 2021年6月号 掲載】

何故、日本の精神科病床は未だ30万床なのか?2回にわたってブログに掲載した。今回、それを合体、編集、加筆した内容で再掲。少し長文だが、関心のある方はご一読を!

はじめに私ごと

私は1980年代前半に父の他界に伴い精神科病院を継承、今日に至る昭和の精神科医である。
これまで国の方針に従い、約40年余りの年月をかけ、利用病床300床超を実働病床200床前後へと約3分の2に減床、現在、年に入退院は約500人前後、内任意入院約90%。もちろん、精神科病院である以上、非自発的入院(医療保護・措置入院)も受け入れいる。また、精神症状に伴う問題行動に対しては、必要と判断したら隔離、身体拘束も法の手続きを踏んで、躊躇なく行っている。では何故病床削減ができたかだが、1)多くの入院患者を管理するのが面倒だった。2)同世代(昭和の精神科医)が取り組んでいた「社会復帰、開放化」には、興味と関心がもてなかった。3)ただ、精神科疾病構造の変化に目聡かったからかな・・・。

精神衛生法

1950(昭和25年)年精神衛生法が施行された。
当時の日本の精神科医療の状況を朝日新聞記者・橋本聡は次のように書き記している。

「・・・戦後しばらくの間、世間には住所不定で職にあぶれた「浮浪者」や、言動や行動が普通でない「おかしい人」が結構たくさんいた。このなかには精神障害者も含まれていた。政府は、こうした人たちを精神病院に入れて治療収容する政策を打ち出した。本来、その任には公立病院が当たるはずだったが、予算不足などのため施設設備は遅々として進まなかった。そこで行われたのが、民間病院への『肩代わり』である。まず、医療金融公庫の特別低利融資が開始されて病院建設資金を有利に調達できるようになり、措置入院患者の入院費にたいする国庫負担率が引き上げられた。これらの措置によって、『患者を集めさえすれば取りっぱぐれしない』図式がつくり出されたといわれる。・・・」
(「宇都宮病院その後」『〈総合特集シリーズ37〉これからの精神医療』日本評論社、1987年)

この「肩代わり」の民間病院の開設は、多くの復員軍医の新たな職場でもあった。彼らは復員後、数年間医学部附属病院の精神神経科医局に所属し、精神鑑定医(現在の精神保健指定医)の資格を取得し、全国各地に精神病院を開設している。だから、精神医療に専門性が高い医師が開設者、病院長だったわけではなかった。それが、いわゆる1950年代中ごろから60年代前半(昭和30年代)にかけての精神病院ブームである。そのような精神病院開設ラッシュの背景には、1954年(昭和29年)に実施された全国精神障害者実態調査において、入院を必要とする患者が35万人に対して精神科病床は3万床であることが判明し、精神衛生法を一部改正して、非営利法人が開設する精神病院に国庫補助規定が設けられたことがある。
先に述べたように精神病院の開設者である病院長は、ほとんどが即席の精神科医(精神鑑定医)だった。だが、当時の精神衛生法における精神障害者の定義が「精神病者(中毒性精神病者を含む)精神薄弱者及び精神病質者」であったことから、「浮浪者」や、言動や行動が普通でない「おかしい人」を精神障害者と幅広く解釈して精神病院へ容易に保護収容することができた。また、精神衛生法がいう「自傷、他害の恐れ」とは、単に自己、ないしは他者を傷つけるといっただけでなく、当時まだ国民病であった結核等の感染症拡大の抑止も視野に入れたものだったに違いない。これらの条件下の精神病院ブームは、精神科病床を一気に30万床とした。
しかし、戦後の復興が進み、国民に少しゆとりが生まれると、精神障害者のそれまでの処遇の在り方に対する疑義が生じた。同時にクロールプロマジン等の抗精神病薬の登場もあり、とくに統合失調症者の街中での暮らしの実現が期待されてよかったはずだが・・・。

ライシャワー事件とその後

1964年(昭和39年)当時のライシャワー駐日アメリカ合衆国大使が精神障害者に襲われる事件が発生した。エドウィン・O・ライシャワーは、幼いころ日本で暮らし、戦前より知日家として知られ、戦後、日本占領政策とその後の復興にも影響を与えた人物だ。時の日本の為政者には衝撃だったはずだ。その事件後、1965年、改正精神衛生法が施行され、精神衛生センターの設置、通院医療費公費負担制度が新設されたものの、強制入院処遇に偏った内容にとどまったことは否めない。
そして、1960年代後半(昭和40年代前半)に入ると、いわゆる団塊の世代(1年に約250万人)が成人となる。つまりその約100人に一人が青年期に発病する統合失調症で、年間約2万5千人だ。団塊の世代と呼ばれた時期が概ね4年とすれば約10万人が発病することになる。そんな患者の受け入れはというと、当初入退院を繰り返しながらも、早晩長期入院となるのがほとんどだった。その後約20年近く、全国の精神病院は超過入院が常態となる。だが、行政サイドはその超過入院処遇に対して、是正を求めるどころか、むしろ必要な職員数は名義借りによる書類上の員数合わせで可とし、増床を許可するといった時代が続いた。
そんな中、1970年(昭和45年)、朝日新聞記者による『ルポ・精神病棟』が朝日新聞に連載され、「精神病院はいらない」の一大キャンペーンが繰り広げられることになる。
そして、1984(昭和59)年の宇都宮病院事件を契機に、1987年に従来の精神衛生法を大改正し、任意入院、精神保健指定医、精神医療審査会を制度改革の3本柱とする精神保健法が成立した(「精神科医療における自明性の検証」・精神科治療学、星和書店、2019. 8平田豊明)。
確かこの法改正後、精神病院に「科」を付けて『精神科病院』と表記し、また、精神科病院には鉄格子は相応しくないと、鉄格子外しを機に精神科病院の改築ブームが訪れたと記憶している。ところが、全国の精神科病床は、未だに30万床のままである。

附属池田小学校事件とスーパー救急病棟

附属池田小学校事件は、2001(平成13)年におきている。犯人は措置入院歴があったが、起訴された上で死刑となった。そして、後年(2016年)おきた相模原障害者施設殺傷事件も然りだ(死刑が確定)。加えて、加害者は措置入院時に「大麻精神病」、「薬物精神病」と診断されている。その根拠は「大麻による脱抑制」だそうだ。となると、同じ抑制系薬物のアルコールによる酩酊状態「脱抑制」時の飲酒運転の検挙者は、全て措置入院該当か?これは、当時審査した精神医療審査会でも問題とならず、また事件後、複数の精神保健指定医も加わった調査委員会でも不問となっている。
附属池田小学校事件との関係は詳しくないが、2002(平成14)年、診療報酬表に掲載されたいわゆる「スーパー救急病棟(精神科救急入院料病棟)」は、精神科で最も高い医療費が請求できる病棟である。「入院期間3ヶ月(以内)」と「年間の入院患者は6割以上が非自発入院(任意入院でない入院)であること」、そして「4割以上が新規入院患者(3ヶ月以内に精神科への入院歴がない患者)」等といった基準が設けられている。
だが、この「スーパー救急病棟」の評価は様々である。 日本精神科救急学会は、2016(平成28)年に「精神科への初回の非自発的入院は、精神科救急入院病棟をはじめとする一定の規格を備えた精神科病床に限定し、新たな長期在院の発生を抑制すべきである。・・・」と提言、総会で採択されている。また、2014年12月17日付の朝日新聞「精神科病院を考える 下」に、内閣府障害者政策委員会の上野秀樹委員(精神科医)が「急性期対応のために全国で5万~10万床の緊急用の病床は必要ですが、それ以外は国が強制的に減らすぐらいのことをしないと減らないでしょう」と発言したとある。つまり、「緊急用の病床」とは「スーパー救急病棟」のことだ。となると「スーパー救急病棟」は、長期在院の抑制に加えて、病床削減に貢献する、と上野秀樹氏が述べていることになる。さらに2018年4月16日付の「yomiDr.(ヨミドクター)」の記事には、「精神科、医師が手厚いほど入院期間短く・・・医療経済研究機構など発表」と、医療経済研究機構などが発表した分析結果が掲載されている。「医師が多いほど治療効果が高まり、入院期間の短縮につながるとみて、医師を手厚く配置しやすくする体制作りの必要性を訴えている。成果は国際医学誌電子版に掲載された。(中略)手厚い病棟では入院日数が90日超となる割合が約17%で、基準通りの病棟より約4ポイント低くリスクは21%下がっていた。また手厚い病棟のほうが、退院から90日以内に再入院する割合も低く(中略)。患者の満足度も高まっている可能性があるとみている」と。これもまた、「スーパー救急病棟」に対して高い評価を下している。
一方で、日本精神科病院協会の山崎學会長は「統合失調症急性期モデルの経営は競争になる」と語っている(「地域移行と構造転換」「精神科病院マネジメント」No.30、エディターズサード、2014年)。

精神科疾病構造の変化

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図1 西脇病院開設時と現在の初診患者疾病分類比較

確かに、以前からすると統合失調症の初発患者の受診、入院は減少している(※1)。また厚生労働省も近年、長期在院患者の地域移行から多様な精神疾患の対応へと舵を切り替え始めたようだ。だからなんだろうか「スーパー救急病棟」に勤務する看護スタッフが色んな学会、研究会の発表内容の中で、「3ヵ月以内」ではなく「3ヵ月の縛り」といった表現をしている。そして、そんな症例の「3ヵ月の縛り」を要する問題行動とは、精神症状からのものでなく、環境要因、処遇への反発による問題行動であることが、質問を繰り返す中で明らかになることがしばしばである。
ここで、この10年余り外来でかかわっている一人の女性依存症者患者のこれまでの経過を簡単に紹介したい。

離脱症状が出現した患者は県内の「スーパー救急病棟」に入院となった。もちろん医療保護(非自発的)入院である。法的、治療的に何ら問題ない。そして、10日後には離脱症状は消褪した。本来、ここで医療保護入院から任意入院(自発的入院)、ないしは退院へ切り替えるべきだが、そのまま90日間入院を継続となった。医師が手厚く配置されているにもかかわらず・・・。その精神科病院を退院後、当院に来院し、それから外来通院を続け、アディクションリハビリテーションプログラムにも欠かすことなく通ってくれている。だが、彼女が反復性うつ病の重複障害であることが判明した。うつ病期にはレスパイト入院を促すも、「スーパー救急病棟」でのつらい入院体験を抱える彼女は、未だにうつ病期の2週間程度のレスパイト入院でも拒み続けている。

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図2 入院形態の推移

今、こんな体験をした患者が急増している。とにかく「3ヵ月以内」より「3ヵ月の縛り」が病院経営的には魅力的なのだ。また、2020年度診療報酬改定で、再発、再燃予防に有効とされるLAI(持効性抗精神病注射薬剤)も包括病棟の「スーパー救急病棟」等において、包括外使用が認められるようになった。にもかかわらず、その処方数の伸びは鈍いと聞く。きっと、再新規入院患者(前回退院後、3ヶ月間は精神科への入院歴がない患者)の要件を満たす時期になったら、怠薬等で再発、再燃してもらい非自発的入院で受け入れる仕組みが、LAIを使用するより、これも病院経営上望ましいのであろう。ただ、そんな入退院の繰り返しは、何れ患者も医療者も力尽きて社会的入院に至るものだ。私の若い頃には、それを回転ドア症候群と呼んでいた。となると「スーパー救急病棟」ってのは、単に先祖返りってことだね。これでは精神科病床が減るわけがない。そして加えて、精神科疾病構造の変化を意識していなかったことから、「スーパー救急病棟」における入院処遇に対して「3ヵ月の縛り」との造語が生まれたようだ。それはもちろん患者の人権に対する配慮に欠けることだし(図2)、医療経済的にもコスパが悪い。よって精神科医療現場に身を置く立場としては、山崎學会長が指摘する「統合失調症急性期モデルの経営は競争になる」に軍配をあげたい。

結びに再び私ごと、と・・・

国の方針に従い、約40年余りの年月をかけ、利用病床300床超を実働病床200床前後へと約3分の2に減床した。その理由とは、1)多くの入院患者を管理するのが面倒だった。2)同世代(昭和の精神科医)が取り組んでいた「社会復帰、開放化」には興味と関心がもてなかった。3)ただ、精神科疾病構造の変化に目聡かった。つまり「精神病院はいらない」ではなく、「精神科病院の使い方」にこだわってきた、とでもしておこう。だが日本の精神科医療は、1987年に制度改革(目玉は「任意入院」、「精神医療審査会」、「精神保健指定医」)をし、精神保健法を成立させた。しかし、短絡的な「精神病院はいらない」のワードに惑わされ、この約30年間、精神科病床は未だに30万床のままだ。これでは失われた30年だ。でも大丈夫だよ!これからは人口の減少がすすむだろう。それに伴いジタバタしなくとも精神科病床が減るのは明らかだ。そして、29年後の2050年に向けて、国はムーンショット計画(※3)をすすめようとしている。それが実現したら、いささか社会性に乏しい精神科医(精神保健指定医)よりAIに任せた方が、患者の入院に対する判断の有無は適確、適正になる。そして、行政との入院届け等の書類、情報のやり取りも飛躍的に円滑になるのは間違いない(今でも厚生労働省がすすめる電子的診療情報交換事業 〈SS-MIX(※4)〉の整備に本気になって取り組めば可能なんだが・・・)。そうなれば、社会が求める精神科医の役割は今とは異なるはずだ。そして、「精神病院はいらない」ではなく、「精神科病院の使い方」が問われるに違いない。いやこの30年、すでに「精神科病院の使い方」についてもっと試行錯誤すべきではなかったか。だからもう昭和の精神科医は、これから先何もしないのが一番いい。老兵は・・・、ただ消え去るのみ(ダグラス・マッカーサー)・・・。

(※1)当院が開院したのは、1957(昭和32)年、64年前である。開院当初の新規受診者500名を調べてみたところ、F2統合失調症が50%を超えていた。しかし、一昨年の新規受診者500名をみてみると、F2統合失調症は10%程度である。
他の医療機関でも各医療機関のHP等で知るところだが、最近のF2統合失調症の新規受診者に占める割合はどこも10%前後だ。
(※2)1987年(昭和62年)に改正された「精神保健法」(現、精神保健福祉法)の第20条では、「・・・、精神障害者を入院させる場合においては、本人の同意に基づいて入院が行われるように努めなければならない。」としており、それは「・・・本人の人権尊重という観点から極めて重要である・・・」とも・・・。ところが近年、その任意入院の減少が続いている。逆に、医療保護入院(非自発的入院)が急増。これを全国の精神医療審査会は見て見ぬふりしてないか?
(※3)ムーンショット計画:2020年に内閣府が発表。2050年までに、一人が多数のアバダーを駆使することで、「人の身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」するとか、AIを搭載して自ら学習するロボットと人間との共生等の計画。このコロナ禍、そして今後の社会の変革に伴い、この計画は加速するのでは・・・。
(※4)SS-MIX:2006(平成18)年度、厚生労働省は、さまざまなインフラから配信される情報を蓄積するとともに標準的な診療情報提供書が編集できる「標準化ストレージ」という概念に着目し、すべての医療機関を対象とした医療情報の交換・共有による医療の質の向上を目的とした「厚生労働省電子的診療情報交換推進事業」(SS-MIX:Standardized Structured Medical Information eXchange)を開始・・・。(SS-MIX普及推進コンソーシアムより)

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