見出し画像

「説得より納得」と「安全と安心」について

数日前、オンラインで東京の大学病院精神科教室の先生方を対象に依存症について持論を語る機会を与えていただいた。タイトルは「普通の精神科病院が片手間に行える依存症回復支援について~拠点病院はいらない~」である。講演、質疑応答終了後、数名の先生方と雑談の時間をとってもらった。そこで、外科医から精神科医へと転向された先生から『「説得より納得」って言葉が印象的でした。それって、精神科以外の診療場面でも大切ですよね』といったご意見をいただいた。ありがたかった。

この「説得より納得」、このコロナ下で、話題となっているオリンピック・パラリンピックの開催にあたって問われている「安全と安心」も同じことだ。だから「安全と安心」ではなく、「安全より安心」とすべきである。そして、「説得」と「安全」は情報を発信する立場が使用する言葉だ。つまり、今抱える課題(依存症の治療、あるいはオリパラ開催)を推し進めたい立場が用いる言葉といっていいだろう。その立場は「権力側」、国家である。では、「納得」、「安心」と判断するのは、その「権力側」、国家の対極ともいっていい国民、「私権側」である。ただ、戦後の民主主義では、この「私権側」の国民が主権者だ。何ともややこしい。

だから、権力側が打ち出す安全(感染予防)対策で最も有効とされる都市封鎖といった強権は発動できない。お願いレベルの自粛だが、幸い日本では、今のところ日本人が身に付けている執着性気質、集団圧力とやらで何とか感染爆発には至っていない。だが一方で、オリンピック・パラリンピックの開催の安心材料の必須要件とされているワクチン接種については、今度は執着性気質が持つ秩序愛がわざわいしてか効率的、かつある意味大胆でランダムな実行性に欠けた感がある。今、国家(権力側)が感染者数減等々の様々な「安全」情報を強調したとしても、国民(私権側)の多くが「安心」するとは思えない。やはり、ワクチン接種が行き届き、有効な治療薬が開発、提供され、以前のような日常生活が取り戻されたとき、はじめて国民一人々が「安心」するものだ。

治政者、教育者、多くの精神科医療従事者は『説得』を常としている。
『ダメ絶対、ダメ』、『人間やめますか?薬やめますか?』、『飲酒運転撲滅』、それにパッケージ化された『SMARPP(スマープ)』などの簡便型の治療プログラムは、『説得』の定番である。しかし、依存症対策を行う上で、それでは効果は期待できない。加えて、性急な素早い介入もこれまた依存症の治療、回復支援にはご法度だ。緩く、気長に依存症当事者が「納得」するまで・・・何もしないで関心を持って見守る、つまり“待つ”こと。そして、松本俊彦曰く

「何よりも大事なのは、どのプログラムを用いるかではなく、続けること」につなげる。
(FNN news  2019年4月6日)
国立研究開発法人国立精神・神経医療センター 松本俊彦

●次のブログ「人の振り見て、我が振り直せ」はこの続き・・・だよ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?