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依存症対策は予防、早期治療より、 まずは「習うより慣れろ」から

以下の『~』の文章は私が書いたものではない。

『 長崎大学病院はギャンブル依存症治療病院として県の拠点病院に指定されておりますが、ギャンブル依存症以外のアルコールや薬物等の他の依存症を扱っておらず、私の病院にも他の依存症の治療依頼が来ることが度々ある状況です。
私が依存症治療に従事する中において、依存症患者の中にはギャンブル依存症単体のみ発症している患者だけではなく、多くの場合はアルコール問題等、他の依存症も併発(クロスアディクション)であることやうつ病等の気分障害も併発(重複障害)であることも珍しくありません。加えて家族の依存症問題によるアダルトチルドレン等も多く見られます。これらの状況・実態の中、「ギャンブル以外の他の依存症は治療できない」という長崎大学病院の治療体制の中で、どうしてギャンブル依存症を治療できるのか疑問に思います。
ギャンブル依存症とギャンブル以外の他の依存症も依存症治療において根本は同じであり、様々な依存症患者との関わりを行う中で各々の依存症への理解が進むと思いますので、これまで依存症治療の実態と実績がないこと、そして様々な自助グループや依存症治療施設等(当事者団体等)との関わりも希薄である中、ギャンブル依存症のみに焦点を当て治療を行っていくことは難しいと感じます。
最後に今回の調査についてですが、多くの依存症患者は自身のギャンブル問題や飲酒間題等を認めることができない(認めたくない)「否認」という状況にある場合が多く、自身の現在の状況を正直に記入するかどうか不鮮明な部分があると予想されます。その為、ギャンブルの利用頻度や出費等においても正確な数値が把握できるものではなく、今回の調査を行ったとしても県内のギャンブル問題等の把握に繋がるものではないと思われます。』

この文章の作者は、当院に入職6年目の若い精神保健福祉士フクザワ君(仮名)である。では何故、この文章が存在するのかである。
「令和2年度長崎県依存症予防教育啓発事業」の一環として長崎県から委託された長崎大学病院の研究チームが作成した【「長崎県 生活習慣とギャンブル等についてのアンケート」 (長崎県におけるギャンブル等の問題に対する意識や行動傾向の調査)について】が送られてきたからだそうだ。このアンケート調査は、住民基本台帳から18歳以上で無作為に選ばれた長崎県内在住者に送られたものだ。それがフクザワ君に送られてきた。万馬券を当てたみたいなものだ。おめでとう!そこで、彼はアンケートに回答し、最後の「ご意見欄」に先の文章を書いて返送したとのことである。私には事後報告だった。ただ、その内容に興味をそそられたので、彼の了解を得て今回ブログの冒頭に紹介することにした。

「習うより慣れろ」効果

当院は普通の精神科病院であることをよしとしている。もちろん、そこで片手間に依存症治療も行っているわけだが、そこで彼、フクザワ君の依存症治療における担当、いや役目はというと、ただ長崎ダルク(*1)の連絡係である。よって、今は1ヶ月間精神科実習に訪れる研修医を、その実習期間中1度研修目的で長崎ダルクに同行し、訪問しているだけ・・・。そう、ただそれだけである。なのに彼が「令和2年度長崎県依存症予防教育啓発事業」のアンケート調査に対してこれだけの意見(正論)を述べるとは驚きだ。多分、これは、長崎ダルクにつながることによる「習うより慣れろ」効果と言っていいだろう。
彼の文章にある長崎大学病院(精神科)の実情は、精神保健福祉士業務として、医療相談を行い、情報提供書等の文書処理、整理をする流れの中で実感していることを素直に書いているのであろう。
むしろ、それより大切なことは、「否認」を取り扱い、このアンケート調査の問題点を指摘していることだ。そうなんだ!依存症と関わるとは、予防、早期発見、早期治療、介入が他の疾患と違って非常に困難であることにある。いや、出来ないと言ったほうがいいかもしれない。少し話は逸れるが、「否認」と「依存」・「退行」との兼ね合い、いわゆるソフト救急が今後の精神科救急の大きな課題となるに違いない所以でもある。私は、否認の強い患者の診察時に、若いころに読んだ海外論文のそこだけが記憶に残っている、「依存症の治療とは、美味しいウサギのシチューを作るためには、飛び跳ねて逃げ回るウサギを如何に捕まえるかだ・・・」といった喩えをしばしば思い出すことがある。“如何に捕まえるか”だ・・・と。それは「説得より納得」、「待つ」、そして少し脇が甘くなったと思ったら、ミーテンングにつなげて、そこで他のメンバーの体験談を聞いてもらって、「人の振り見て、我が振り直せ」と回復の動機づけのきっかけ作りが出来ないかと、そこに私の思いを全力注入する、といったことだ。だが、美味しいシチュー食べるためには、そこで終わりにしたくない。患者である彼と私が共に続けること、すなわち「習うより、慣れろ」の繰り返しを行うこと。だから、厚生労動省も依存症対策は「切れ目のない支援体制の整備」が大事だと・・・。確かにフクザワ君の指摘は適確である。

日常的に診てくれる臨床医がほしい

「~日常的に診てくれる臨床医がほしい~」、これは日本經濟新聞(2019年6月1日~30日)に掲載された石原信雄(元内閣官房副長官)の「私の履歴書」の中で自治省(現総務省)時代を振り返った件の一節だ。興味深い内容なので少し長くなるがその前後も紹介しておきたい。
公営競技(ギャンブル)を所轄する地方債課長着任当時(1972年)の課題として『・・・へき地医療のための自治医科大学の設立である。「高い技術はいらない。年寄りを日常的に診てくれる臨床医がほしい」。・・・・・・私は公営競技の収益を建設資金に充てようと考えた。・・・・・・自治医大の創設は競艇と宝くじに負うところが大きい。公営競技は戦災復興の資金を作るために始めた。残念なのがパチンコを公営競技にできなかったことだ。パチンコは地域と関連が深く、自治体に利益を還元する道があってよい。カジノを含む統合型リゾート(IR)はそれを考えるよい機会になる』と。なるほど!
たまたまフクザワ君へ届いたアンケート調査の目的は、これまた「依存症対策をIR推進の道具、言い訳に利用する行政の姿勢が丸見え・・・」である。まさしく「鹿を逐う者は山を見ず」だ。それならそれでいい。だが今は、「依存症者を日常的に診てくれる臨床医(精神科医)がほしい」に尽力すべきだ。ただ、公営競技(ギャンブル)等々の収益をどれ程どのように依存症対策費として配分すべきか、といった基礎データーとしてのアンケート調査には異論はない。しかし、そのためには地方の一大学の精神科が行っても意味がない。全国規模で、それも経済学、社会学等の専門家の見識、意見も重要だ。長崎県がIR推進を目的としているのならそうした主旨の内容を国に提言することがむしろ効果的ではないだろうか。今回のアンケート調査には1200万円の予算が充てられていると聞く、その予算、今は新型コロナ対策予算にまわすべきだ。それより、「依存症者を日常的に診てくれる臨床医(精神科医)がほしい」のだよ!

精神科医は依存症治療を片手間でやってもいい!専門性はいらない!

フクザワ君のご意見の冒頭「長崎大学病院はギャンブル依存症治療病院として県の拠点病院に指定・・・」だが、大学病院は、もちろんのことだが総合病院であるし、そして、何よりも長崎県の中核になる医療機関である。そこの精神科であることから、それに相応しい役割があるはずだ。そこで、私の長崎大学精神科在籍時代の経験を通して、私が理解してきた大学病院精神科について話しておきたい。
私は大阪の私立医大を卒後、1972年から約10年間、長崎大学精神科教室に籍を置いていた。お役に立つことはしてない。そう、その役に立たないことをお見通しで当時大学病院より派遣され、勤務していた長崎県立東浦病院(現長崎精神医療センター)の副院長から、少し勉強してきなさいと、国立久里浜療養所(現・久里浜医療センター)で行われる第1回のアルコール依存症に関する精神科医の研修会へ参加を促された。それが私の「依存症治療の事始め」である。だが、その研修終了直後に大学病院精神科の人事異動で、私は大学病院精神科に戻り、大学病院に勤務となった。その時「久里浜で学んだこと、大学病院で試みるのは無理だ」と判断した。大学病院精神科の役割は、地域の中核機関医療機関であることから、様々な精神疾患の診断と治療、それに研究、教育といった役割があることをすでに当時から承知していた。とくに当時は統合失調症とうつ病の精神病理学的関心と薬物療法への期待が高まってた時代であった。役立たずの若い精神科医が行う「依存症治療」の場などあるはずがない。大学病院の依存症治療は急性期、それも概ねアルコール依存症の離脱期の治療といったところだった。そこで、私は週一回非常勤で勤務が出来る単科精神病院で「依存症治療」を試みることにした。それが今も続いている西脇病院の夜間集会である。始まりは6人の入院患者と私と合わせて7人の集いであった。そして、私が「習うより慣れろ」効果を身に付けたのも、基本はこの週一回の夜間集会からだ。とくに私に大きな影響を与えてくれたのは6人のメンバーの中の一人、末さんだった。今、私は彼のことを『私の「教科書」』と呼んでいる。夜間集会を始めて10年後、西脇病院の理事長、院長に就任。もちろんその間、その後も統合失調症を中心とした他の精神疾患の診療も臨床精神科医として続けている。よって、これまで一貫して、西脇病院は普通の精神科病院であり続け、依存症治療は「片手間」で行っている、ということになる。一方で、大学病院精神科は幅広い臨床研究と教育機関としての重要な役割を担い続けている。それは、今も昔も変わりない。だから40数年前、「~依存症治療は大学病院で~は無理だ」との判断、これも今も当時も変わらない。よって、フクザワ君の「ご意見欄」の指摘は適確である。それより、何も大学病院精神科が依存症、それもギャンブル依存症のみに特化した拠点病院を引き受ける必要などない。司々の役割分担が大切だ。地域医療におけるそんな仕分けは、本来行政の仕事のはずではないか。むしろ、今日の依存症対策の肝は繰り返しになるが、片手間でもいい、「依存症者を日常的に診てくれる臨床医(精神科医)がほしい」である。そこで今回のブログ、少し長くなるが最後に人材育成についてもふれてみたい。

日頃の蒙を啓くことが出来ました

令和2年(2020年)12月8日付で長崎県障害福祉課長より「令和2年度 都道府県等依存症専門医療機関・相談員等全国会議の案内について」が送られてきた。
そして文面には、「~依存症専門医療機関・相談拠点の整備や人材育成が重要~」としてある。令和3年1月22日にオンラインでの開催らしい。長崎県の場合、「仏作って魂いれず」にならねばいいのだが・・・。

「思わず引き込まれるような読み心地で、日頃の蒙を啓くことが出来ました。周囲にも薦めるに至った次第で・・・」と。これは昨年、2019年に上梓した小著「依存するということ」を長崎大学精神科に在籍する若手精神科医に進呈した後、彼よりのお礼の手紙に読後感として書き添えてあったものである。ありがたかった。さっそく、長崎ダルクのイベント参加に彼を誘ってみた。回復途上の当事者諸氏とのふれ合いは始めてとのこと、彼の感想は「目から鱗」といった内容だった気がする。この先、時間がかかってもいい「習うより慣れろ」効果が長崎大学精神科の若き精神科医諸氏に浸透していくことを願って止まない。人材育成とはそんなことでいいのではないだろうか。

実は小著「依存するということ」の出版にあたっては、些か苦いちょっとした裏話がある。
2018年(平成30年)、長崎県の障害福祉課長はIR推進の部署から異動してきており、依存症対策には積極的に取り組んでいた。彼が面会を求めてきたので会うことにした。会って話してみると、依存症に関連した制度などについてもよく調べ、勉強しているのがわかった。そこで彼と二つの約束を取り交わした。「一つは、今行っている県の依存症対策を『白紙』にすること。そしてもう一つは、私が手引書を作成して県に提供すること」であった。当時も今も、長崎県の依存症対策は、原宿カウンセリングセンターの信田さよ子も危惧している(*2)アメリカ仕様のパッケージ化したプログラムを金科玉条の如く県支援センターが提供している程度。とても「切れ目のない支援体制」が整えられつつある、と言えたものではない。しかし、彼は『白紙』に戻すのに相当苦労したようだ。そのためだろうか、課長着任わずか一年で他の部署へと異動になってしまった。そうだとしたら張り切っていたのに気の毒なことをした。私はというと、約束通り「依存するということ」を書き上げた。ところが県当局は課長も変わり、私の小著など相手にもしてもらえず、自費出版はいいのだが、関係者に自腹でお送りする羽目になってしまった。
しかし、「日頃の蒙を啓くことが出来ました」だとしたら、細やかながらも手引書らしき役目を果たしているのではと・・・自画自賛・・・。

(*1)長崎ダルクは、全国ではまだ数少ないギャンブル依存症の回復施設も運営している。
ダルク(DARC):Drug Addiction Rehabilitation Centerの略。
薬物依存症者の回復施設である。
(*2)『・・・私が危惧しているのは、治療や支援がことごとくパッケージ化していることです。CRAFTやスマープもそうですよね。アメリカから輸入されたこのようなプログラムは、ツールとして有用でも、支援がそればかりになっていくと、人の生き死にの物語が伝わってこない。アディクションの特殊性がなくなって平板化していくような気がします。力量に自信のない人たちが、とりあえず「専門家」であると思えるメリットもありますが。』
松本俊彦×信田さと子「掘下げ対談 アデクションアプローチとハームリダクション」より.
『Be! 137』.ASK(アルコール薬物問題全国市民協会)、Dec.2019  
★図書紹介:『依存するということ』 幻冬舎 2019年

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