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花なら睡蓮

清純 やさしさ 信頼、信仰

睡蓮の花言葉です。

よく似ている蓮も清らか、神聖、そして離れ行く愛

「最後の離れ行く愛」は咲いている期間が4日ほどの 命。花弁は一枚ずつ散っていく様を表現したとなっています。

お盆になると蓮の大きな葉っぱにほおずきやなすび、キュウリ、そしてレンコンそれらをのせて仏壇の前のテーブルに供えられていました。

睡蓮の花を好きになったのは幼稚園の頃からです。小さな時から、絵画の本が棚にありよくめくっていました。それはクロード・モネの睡蓮。何とも言えない色彩が美しく小さいながらも毎回開くページでした。日本の池に感銘して同じような池を作ったとありました。私もいつか蓮が咲く小さな池の庭が欲しいなあと長年挑戦していますが、かえって泥の環境を作る方が難しく、今だ叶わぬ夢となっています。

また近くの神社の蓮の蕾は桃のような可愛らしさ。花の華やかさはまた他とは違う魅力があります。

蓮と睡蓮どちらも好きです。

学生時代にアサヒビール大山崎山荘美術館へは何度も行きました。大正時代のノスタルジックな館に続く近代的な美術館。そこには巨大な何枚ものモネの絵画が弧の壁に飾られています。一枚ではなかったことに驚き、目がみえなくなった晩年にも描き続けた様子は圧巻でした。また洋館のすぐそばに大きな蓮池。

それを見てまた一段とこの花が好きになりました。

泥の中から水面に出て咲く清らかな花は、白鳥の泳ぐさまに似て、それも心揺らされた一つです。私もかくありたい。

泥中にも蓮の花

汚れた環境に身を置いたとしてもその汚さに染まらずに清く生きていくことのたとえですが、物理的に汚れた環境に身を置かなければならない場合も長い人生あるでしょう。その汚れた環境は物理的なものだけではなく、執着や欲望といった人間の汚れた心の中にも。蓮は澄みきった水の中ではかえって育ちにくいと言われています。

親はいい環境で子供を育てたいと願います。その学校選びに躍起になっている母親も。しかし子供はどんな環境でも強く生きることが出来ると思います。

たくましく育てるにはいろんな環境に遭遇させて自分で切り開いていく力を養うことです。

いろんな神社仏閣の池で、美しく咲く蓮の花を見かけると私は果たしてこの蓮のように今、生きているか?と問いかけたくなります。

今年もいろんなところで蓮や睡蓮を楽しみました。

一時はガラケーの待ち受け画面に。スマホになってその写真はニケになりました。

見るたびに心洗われる花です。

今日もいい日にしましょう!







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