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元気になる声掛けっていいもんだ

人に会って挨拶をするとき、その言葉で元気になったり、気を悪くしたりすると聞きました。

「お久しぶりー!元気そうでよかった。」「なんか疲れてる?」
同じように笑って言われても後の言葉を言われるとなんとなく…。自分が調子のいい時は「元気よー!ご心配なく。そんな顔して歩いてた?」と難無く答えられるのに、ズバリ凹んでいるときは別れてからの足取りも重くなるようです。

最近は一人で住んでいる年配の方がたくさんおられます。昼前になるとスーパーには買い物用のカートを押したり、杖をついたおじいさんやおばあさんを見かけます。
立ち話はほぼ体の事。節々が痛い、腰が…。一見血圧の高さを競うみたいなコミカルな笑い声も聞こえますが、みんな気持ちは不安でいっぱい。子供たちは忙しくてなかなか帰ってこないし、ましてや孫は年に何回か大きくなったのを見せるためのような里帰りで、外に出なければ誰とも話すことがないそうです。
私はいつも「お元気そうですね!」と言うようにしています。
「そんなことないのよ」と言いながらも顔はニコニコ嬉しそうにされます。

 いくら家族と一緒でも、自分の体の変化や、思考力の衰えを代わってくれるはずもなく、親たちをみてきて私もそんな年になってきたという、あきらめと、受け入れ。それが日によってとらえ方が違ってきます。

きのうは穏やかだったのに今日はと言う方もいて致し方のないことですが、周りが温かく見守るほかはないのでしょうか?
そうは言っても自分の親となるとあんなにしっかりしていたのにと悲しい気持ちになったり、優しくなれない自分がいて訳の分からないことを言ったときにはきつく言い返したこともありました。却って赤の他人の方が優しくなれるというのはあるかもしれません。

しばらく会わないと心配がとおり越して病気らしいと言われたり亡くなったのではとうわさされると言ってたお婆さんを思い出しました。悪気はないのでしょうが、それほど明日のことは分からないという事実をみんなが認識していることだからかもしれません。

先日私の顔を見るなり「おそばをいただいたからあなたにもおすそ分けしたいと思っていつも待ってたのよ」と言ってくださいました。「ちょっとここで待っててね。」小走りで自宅のあるマンションに向かって行かれました。「ちょっとおそいかなあ。家に着いたとたん忘れてしまったのかも。」とニケと一緒にマンションの下まで来た時、自宅から紙袋を下げた彼女が前の通路をこれも小走りで階段に向かってこられるのがみえました。
「あー来られた」と思っていたのですがもう現れてもよさそうなのに現れずニケと階段を上がって、ご自宅の階まで行きました。なんと知らぬ間に帰宅されていて、「公園まで行ったけどいなかったので帰って来たのよ」と平然と言われました。
マジックのような彼女の行動にニケ?も私もちょっと驚きましたが、おそばをいただいて、散歩を続けました。

もし小走りでつまずかれたのでは?心臓が悪いと聞いていたので倒れたのでは?
私もやっぱりいろいろ飛躍して心配してしまうものなんだと納得しました。
数日後お会いしましたが、いつものようにニコニコと手を振ってくださいました。ニケの名前は覚える気がないのか「ワンちゃん元気?」といつものあいさつ。「お元気そうですね!」と私もいつものように一言言って別れました。



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