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ニケと歩けば cent neuf


真宗大谷派 本願寺別院はモダン寺とみんなに親しまれています。

普通のお寺ではない外見ですが、アジアの寺院を思わせて調べてみると、インド仏教様式を取り入れられたとあります。

天生元年に創建とあります。この年号、覚えがあります。

織田信長が切望して決めた年号です。しかしインド様式ではなく当時は日本のお寺の造りでした。

その前は「元亀」「その年号は不吉」と嫌っていたのは信長公記にも記されています。

義昭は将軍に就任した時信長に相談したにもかかわらず「元亀」と命名したのですが、その後信長は義昭を追放して念願の「天生」にしたとなっています。

信長40歳の年。これから破竹の勢いで世の中を治めようとした気持ちみなぎる様子が想像できます。

「泣かぬなら殺してしまえ時鳥」激しい気性がうかがえます。

しかし約10年後、あの本能寺の変は、「無敵を誇っていてもしょせん人のすること。人生何があるかわからない。もろくも崩れるのも人の思惑」と言うことを証明しました。

信頼していた家臣明智光秀の裏切りと言われていますが事実であっても人は信用できない。その人それぞれの考えは誰のものでもなく自由に操れないということです。

東本願寺別院2


今の建物は信長の時代に創建されたものではなくの不慮の火災で焼失して今のモダンなインド様式になったのは1930年となっています。

近くを通ると、まず屋根に目がいきます。龍の鱗のような不思議な瓦です。こんな窓枠はインドのお寺で見たことがあります。

道の脇には親鸞聖人の像があり、何度来ても摩訶不思議なお寺は立ち止まらずにはいられません。

その前には小さなお店が並んでいます。

チーズケーキの店は早くからたくさんの人が階段下まで並んでいます。

自家焙煎の珈琲を出してくれるお店は昭和レトロで店先には箱庭のような

ビオトープで元気にメダカが泳いでいました。

薪で焼くピザやさんがありその先には有名な洋食屋「朝日」の看板。

ビフカツは神戸っ子の定番メニューです。

ほんのワンブロックですが私の好きな街角です。

そろそろ風が冷たくなって師走の足音が聞こえてきそうです。





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