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年を取るとは未来の自分に会うこと

先日,娘が夏に里帰りした時の写メをたくさん送ってくれました。

楽しそうにみんなが笑っています。大勢での食事、ひさしぶりに楽しかったこと!

孫娘、そして娘と私。そこには母に似た私がいて、昔の私に似ているとよく言われる娘が並んでいます。カメラマンは孫、四年生。

隣の彼らのパパはなんだか自信に満ちて余裕さえ感じられるようになってきましたが、二人であいさつに来た時のちょっとはにかんだ目じりのしわはそのままです。その横で相変わらず甥たちとふざけているおじさん。

息子が六年生になるのをみることが出来なかった主人にこの様子を伝えたいとも思いましたが、きっとどこかで…。

なんとまあ、写真の中にいるのは紛れもないおばあちゃんの私。母が年老いていくのを見て、これが現実とよく思ったものですが、今それがすっかり入れ替わっています。母の位置が私になっている。

あの時いつかはこうなるんだろうと見ていた風景は残酷でもありますが…。意外とこんな光景を体験できたという安堵感があり、一言では表せない心模様を作りました。

屈託のない孫たちの笑い声に交じって、おとなになった息子たちの声が加わり、あの時から見れば未来の私がここにいるという現実を喜ぶべきでしょう。

たまに42歳で逝った主人が今此処にいたらどんなお爺さんになっているだろうと思うことがあります。

同時にこの世からいなくなる瞬間、意識があったなら「どんなことを思って逝ったの?」と聞きたくなる時もあります。

身近な人間が最後どう思ったのかを知ることが出来ないのは分かっていても切ないものです。

もしその時に思ったことを伝えたくてもきっとそれは叶わぬこと。せめて私は「ありがとう」と言いたいなあ!

今朝は台風の影響でしょう。鉛色の雲が、いくつも固まりになったりほどけたり、大きな円を描くように回っています。

鳩は公園のフェンスでいつも通りきちんと並んでおとなしくしています。時折吹く強い風に柔らかい羽がざわめいています。

ぽつぽつ降り始めました。それを悟った⁈のかいつもより早くリラックスした体を起こしてニケは家に向かいます。

今日はおうちでいいことを見つけましょう!





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