厄介なプライド
ぶっきらぼうでタメ口。一見がらっぱちのように見える知り合いは本当は繊細で優しい人です。頼まれれば断ることのできない人情家!
なのに誤解されています。それは彼女のイメージ。
人への接し方を知らないというには少々年齢を重ねています。
人はその年なら常識も備わっていて当然なのにと眉を顰めます。たとえば言葉使いだけでその人を評価するのは少々残念ですが、大抵、世間の物差しはそんなもんです。身近にいる私たちには彼女の良さがよくわかるのですが、初めて会う人には受けがあまり良くないのです。
彼女を見ていると何しろバイタリティーにあふれています。
早口で、離れて聞いているとけんかしているみたいに見えるそうです。
それを上司にまでタメ口で言い返すのですから。
彼女は損?をしていることに気が付いていません。今までの環境ならそれで許されてきたのでしょうが、今はそうはいきません。
世間知らずで今までそれが普通と生きてきても新しいタイプの人と接することになったら、いろいろと面倒なことが現れます。彼女からすると親しげにはなしているだけとなります。やはり言葉選びは大切です。話し方も内容も。
また今まで第一線でバリバリ働いていた人が、そろそろ少しは穏やかな環境に身を置いてみよう、これからはゆっくりしようと思っていてもあまりにも自分との常識枠が違うと、これはこれで「なんだこれ!」と驚くことがあります。特に男性は「お山の大将気質」が抜けなくて、今までの功績の鎧を脱ごうとしません。それはすでにいろんなところが傷んでいて使い物にならなくなっているのですが手放すことが出来ないようです。
そんな環境の違いを受け入れるか、私には合っていないと去っていくかは人それぞれですが、習慣や考え方の違いだけでその世界を捨てるのは少々もったいないように思います。それにやはり年齢。この年でも働けることは自分の手柄だけではなくて、おかげ様。
そこで自分のちっぽけなプライドを捨てられるかどうかですが…。
くだらない仕事なんてありません。そこで自分の能力を発揮して生活している人がいる、それに自分が合わせられないのはある意味能力が無いということです。
全ての職場にプロがいます。何十年もその仕事一筋。只々尊敬します。
仕事以外で話すことがあれば余計にその人のバックボーンを見ることが出来ます。
すごい人生を歩んできたんだと感心することばかり。シニアになるとそんな人が大勢いて自分のちっぽけさに気付かされます。
出会うべくしてこの場にやって来たとしか言いようのない不思議な集まりは同好会、飲み会、職場といろんな場所に存在します。
私も世間知らずであったと毎回思います。
ひとりの男性は長らく商社に勤められていて定年後全く違う場所でアルバイトされています。見かけはのんびりな人と思っていましたが、なんと商品の野菜を日本以外の土地で開発するために主に南米に赴任して苦労されたとか!そのお話が面白くてついつい聞き入ってしまいます。
今の職場では年下の上司からいろいろ言われるそうですが、あんまり気にしていない風なのはそんな過酷な世界に身を置いていたからの余裕だったようです。
もう一人の男性は東京の一流企業で長年要職についておられましたが、実家のある神戸に帰ってきて生まれて初めてバイトを始めたらしいですが、理不尽な扱い⁈や物言いに我慢の限界と辞めたそうです。
さあ何が老後の楽しみや生きがいになるかはわかりませんが、知らない世界にこの年だからと飛び込める場合もあります。
プライドはいつまでも持っておくほどのものかは分かりませんが、捨てることが出来たならまた新しい世界を見ることが出来るかもしれません。
今日もいい日にしましょう!
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