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魚を食べる

魚を料理する家庭が少なくなってきて、スーパーで売られている魚は切り身にされて、「骨を取っています」という表記があるものまで…。

三枚にさばくことが出来ない。魚の目が怖い。と言う人もいます。

小さな時に小骨がのどにつっかえてご飯を丸のみしたら、取れたという経験は私たちの世代ぐらいでしょうか?夕飯に魚が出ると嬉しくて、今日はみんなをびっくりさせるくらいきれいに食べようと挑戦します。

祖父母や両親の食べた後のお皿は標本のように頭、骨、尾ひれだけ。
私のは身がまだ残っていて祖母には「フジが喜ぶわ!」と笑われましたが、叱られたことは一度もありません。

物のなかった時代を生きてきた四人は食べ物を本当に大事に扱いました。

その当時、朝早く魚を売りに来ました。「手々噛む鰯」新鮮さを強調しての言葉をおじさんは毎回私に言います。

噛まれては大変と手を後ろに隠すのですが、その日は決まって、小さな丸ごとのそれが並んだちらし寿司となります。

すし飯は早くあおいでさまさないとまずくなると二人がかりでうちわで熱を飛ばします。

輝いた酢飯は何も具を入れていないときからごちそうで、よくつまみ食いをしました。

神戸は海に近いところなので明石、淡路島、岩屋、赤穂などから魚を売りに来る人が毎日のようにやってきます。

祖母は気風のいい人で「それみんなもらうよ。おいていき!」というので、何日かはその魚が続きます。

今日はお刺身、次は焼いて最後はフライ!

教えていないのに息子は標本みたいに食べつくします。

それを見ていつも小さなころの夕餉を思い出します。

温かい白いごはんにカレイの煮つけは本当においしくて、私は白くてかたい目玉も食べました。これを食べると賢くなるそうです。

ほほの丸いほろっととれる身は他の部位より濃いように思えて、残った煮汁にお湯を足して祖父は美味しそうに飲んでいました。

結婚してからも毎週水曜日に単車で魚を売るおじさんが来ていました。荷台にはどれも美味しそうな、鯛やいか、ホタテにマグロ。「魚の玉手箱や―!」と言いたくなるほどみんなおいしそうで迷いました。さっさとまな板の上でさばくのが手際よくて子供たちも興味津々!魚好きになったのは言うまでもありません。

阪神淡路大震災の時はあのドミノ倒しになった高速の下43号線を走っていたそうで生きた心地がしなかったと言ってました。

私が魚、特にお寿司が好きなのは毎日新鮮な魚を持ってきてくれたおじさんたちや家族のお陰かもしれません。

今夜は鯛の子、子供たちはいつも取り合いするぐらい好きでした。
主人と二人熱燗と一緒にいただいた冬の夕餉は遠い昔になりました。

今日もいい日にしましょう!






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