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真実は七割

果たしてこの世に真実はあるのだろうか?数式のようにはっきりとした答えがあるものとは違って、人から発せられる言葉の真意。

何か起こるといろいろ他人がその原因を推測します。

ある出来事があった時です。本人は本心を打ち明けないからわからない。

仮に理由を言っても本心なのか、案外事実は隠したまま、他の原因を当てはめることもあります。

四人は何をするのも一緒。ある時一人が編み物教室をやめることになったとか。「どうして?」「あんなに一生懸命してたのに」「寂しいやん」矢継ぎ早に質問攻め。帰り際一人には「ほかにしたいことが出来たから」もう一人には「主人に反対されたから」そして「先生が○○さんばかり褒めていやになったから」三人に向けて三つの理由。それをお互いが持ち寄るからややこしくなる。最後は「嘘迄つかなくても」となり…。

また聞いた側も自分の考えやその人に対するイメージできっとあの人のことだからこうなんだろうと答えを押し付けている場合も。

日常生活でいろんな摩擦があり、噂話の多いこと。

そんな中で生活するには他人が真実を知る必要が果たしてあるでしょうか?

事実は代えがたい結果であってもそこに至るプロセスはどうでもいいような。本人がそれでいいなら深追いする必要もないし、掘り起こすことはタブーのような気がします。

きっとそうなんだろうと心で思っても、その人の意思を尊重することが大切。闇の中は時として、必要でこともあるとも思います。

批判はできても納得するのが不得意な人はたくさんいます。

嘘だらけの人間関係と聞くと少々むなしさも感じますが、時を紡ぐことで

本当に分かり合える。その中に真実は7割しかなかっても…。その人の出した結果を応援できる人でありたいものです。

何年かたって「あの時は家計が苦しくて教室に通ってる場合じゃなかったのよ」と本音を言えるようになるにはアバウトな関係も良いのかもしれません。

そうでないとわかっていてもそれを受け取ってあげる。おとなな!気持ちも持ち合わせたいものです。

今日もいい日にしましょう!





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