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台風一過

今から思えば、その台風は伊勢湾台風だったのかもしれません。

家族が寝静まって真夜中。ガラスの割れる音とゴーという風が家の中に入って来た瞬間。その風力のすさまじさは恐怖でした。

父はすぐに畳を上げて、その窓に立てますが、その隙間から、生き物みたいに入り込んで、暴れる風は小学生の私にはいつまでも残る恐怖でした。

昔の天井照明はブラーンブラーンと振り子のように揺れて、すりガラスの笠は今にも落ちてしまいそうでした。

朝になって、生田川が氾濫したらしいとか、近所の大きな家の黒い瓦屋根が粉々になって落ちていたり、立派な槙の枝が生傷みたいに痛々しく折れていたりと…。まさしく爪痕を残していましたが、台風一過の空が目に染みるくらい青々としていて今までのことは帳消し!と言っているようでした。

いつも母が「雨が降っても風が吹いても必ず晴れの日が来るよ!」と言っていた言葉を思い出しました。今でも時々。

もちろん我が家の庭も散々の状態。庭一面を六甲山ブルーに染めたアジサイも無残な姿になっていました。フジの犬小屋も屋根が飛んでしまいましたが玄関で夜中を過ごしたのでけがはなかったようでした。一番に祖父がうちの中に入れたようです。

また当時はすぐに停電になりました。大きなロウソクは何本もあって箱マッチで火をともす母の顔だけが明るく照らされてました。まだ薪や、七輪がある家もあったので、夜が明けると近所の人たちが集まって炊き出しの準備が始まります。冬にとんと(焚火)で使った薪でお米を炊いたり、湯を沸かしたりその時のご近所同士の結束は気持ちいいものでした。こんな時はやっぱり米粒!とパン好きの叔父が言ってました。お米でないと力が出ないとも!

今やお醤油を借りることもはばかれる近所付き合いですが、当時のお付き合いは心強いものでした。

割烹着姿の母親たちは本当にテキバキとして手際よく動いていました。

お昼、沢山の塩むすびは瞬く間に無くなりました。

昼過ぎに停電も解消して、テレビは台風の被害を流しています。

シロクロの映像は今のよりもおどろおどろしく自然の驚異を目の当たりにして、人間のちっぽけさを見せつけているようでした。

あれから何度も台風がやってきましたが、今のところあの時ほどの大きなものはありません。自分が小さかったからなのか、最近このあたりを通過するのが少なくなったからなのか、ついつい準備を怠りがちですが、大きな音を立てて割れたガラス窓、恐ろしくうなる風、暗闇の中、ロウソクに火をつける母の横顔。画面に映し出される九州の様子を見ながらあの時のことを思い出しました。

暑い夏が終わったと思えば次は台風の季節。これからも何度かやってくるでしょう。

今日は庭のあと片付け。嬉しいことにメダカが生まれていました。何ミリかわかりませんが、針子の動きは機敏で可愛い!また続々と生まれてくるでしょう!

今日もいい日にしましょう!



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