見出し画像

『汝、星のごとく』 凪良 ゆう

 幼い頃から大人の面倒をみるしかなかった暁海と、櫂。
 この町を出て「自分の人生を歩みたい」と願う二人に対し「大人たちのことは、ほっといていいから」と何度思ったかしれない。

 子供のように一人で生きる力がないとか弱い声を出す親を前に、人生を捧げる。尽くしてもらって当然と金をせびる親にありったけの金を与える。病んで与えられなくなれば放置されるのに。
 助けてほしい時に見捨てられてきた。なのに底なしに助けを求められる。理不尽だ。でも頭ではわかっていても、どうしても見捨てられない。応えなければ罪悪感で息もできなくなってしまうのだとわかった。
 そのように育てられた子供だから。

 たくさんの理不尽を飲み込んだ怒りは、憎しみは相手には向かわない。

 またヤングケアラーとしての物語の側面ともう一つ、男女格差について描かれた物語でもある。
 心を病んだ母を支えながらやりがいのない仕事に甘んじる暁海と、漫画の原作者として成功しやりがいを感じていた櫂は、見ているものがどんどんかけ離れていく。

 女の子なんだからと雑用のような仕事を振られ、いくら成果を上げようと昇進は望めない。仕事のできない男性同期より給料が低いまま、女性であるがゆえに頭打ちになる未来が透けて見えてしまう職場。暁海の鬱屈は今の女性のリアルだろう。暁海の自分を含めた分析には共感できるところが多々あった。

 いつしか櫂が暁海を侮っていることに気づく。女性全般を軽んじて、しかも甘えていることに気づく。
 かつて父親に出ていかれた母親を支えて育ったという共通点を持ち、それによって深く理解し惹かれあった二人は、どちらも女性蔑視の現実に直面していた。女性である暁海は自分自身を、男性である櫂は暁海や母や恋人たちを侮る。
 自身もクリエイターでありながら、櫂は暁海の創作をお金にならない趣味だろうと侮る。暁海自身も自分を信じきることができない。

 たとえ誰に間違っていると非難されても貫く。理解されなくても自分を信じ手に入れる。暁海の前にはそのような生き方を支援する二人の手本があった。先生と、父の新しい相手。
 私はその二人の生き方を好きにはなれなかったが、暁海が支えられただろうことはよくわかった。そうして暁海は強くなる。そういう物語だった。


 なぜ私は暁海を支えた二人を好きになれなかったのだろう。彼らは理想的に描かれる。潔く、カッコ良く、信念を貫いているように。暁海のためにできる限りのことをしてくれた人でもある。なのに私は彼らを好きになれない。

 暁海から父親を、家族を奪った人。もしかしたら彼女が現れなくても、い暁海の子供時代は幸せではなかったのかもしれない。それ以前から夫婦はすれ違っていたのだろうから。
 けれどやはり暁海の地獄は、彼女が誰を傷つけても手に入れようとした愛のせいで引き起こされたのに間違いはない。私の心はどうしても子供の側にあって、彼女を憎まずにはいられなかった。

 そして先生。彼の自分を見せない、誰にも理解してもらわなくて結構と言わんばかりの在り方はとても防衛的で、まるで自分のようだとも思ったからかもしれない。

 ざっくり思ったことメモでした。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?