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『流浪の月』 凪良 ゆう

 読んだのは3月1日。随分と開いてしまった。
 うまく言葉にしにくいので思いつくままに書く。

 十歳の更紗は家に帰りたくない。
 なぜならそこには従兄がいるから。
 彼は、夜になるとこっそり部屋に入ってきていたずらをするのだ。
 気持ちが悪い。すごく怖い。助けてほしい。
 だけど更紗はそれを口にすることができない。

 幼い更紗は夢想する。
 もしも他に居場所があったら。
 あの家以外にいていい場所が、安心できる場所があったなら。
 他に何もいらない。
 消しゴムで消すみたいにこの世界から姿を消そう。そして絶対その場所を手放さない。
 更紗は小児性愛者だという噂の青年、ふみのアパートへ転がり込む。

 相手には相手の事情があって、だから本当はすごく危ないかもしれないのに(小児性愛者だという噂なのに。従兄と同じことをするかもしれないのに!)、幼い更紗は自分に都合よく考える。
 相手を利用して生き延びる。出し抜いてでも生き延びる。
  
 性について多くを知らないこの時の更紗は、「自分は彼のタイプじゃないから」と言い訳しながらも、きっとどこかでそうなっても別に、と投げやりな部分もあったのかなと思ったりする。
 子供は、自分を人から扱われたように扱うから。

 
 
 更紗が警察に保護された時に私は、従兄のことも、自分が帰りたくなくて文を利用し匿ってもらっていたことも、みんな暴露して仕舞えばいいと思った。
 そうすれば自分の気持ちを、状況をわかってもらえる。
 こんなに酷い目にあっていたんだ。だから逃げ出したんだ。従兄を罰して、二度と私に近づけないで、と憎しみや憤りをダイレクトに伝えられる。
 なのに何でそうしないの? と。
 そう思える私は、どこか底の部分で世の中を信じているんだ。

 更紗にはそれができなかった。

 警察に保護された更紗は、都合の良い夢から目を覚ます他なかった。
 文の家に戻ることは許されない。そして自分を待つ場所は従兄のいるあの家しかない。
 わずか十歳では一人で生きてはいけない。私はそこにいるしかない。

 人々の視線から更紗は、小児性愛者の家にいた私がどんな目で見られているかを感じ取る。イタズラの意味を正確に理解させられる。
 何もないのだと言っても決めつけられてベッタリとなにかがなすりつけられるのを、それに対して自分がどうすることもできないことを、嫌というほど理解する。
 言葉が通じない。

 最初私が思ったように自分の中から憎しみや憤りを吐き出して、汚いものをみんな従兄にお返しできたら、そりゃスッキリするだろう。
 ザマァ展開というやつだ。
 復讐を遂げ、それで元の綺麗な私に戻れる?
 そうなるなんて信じられない。世の中はそうはなってない、と更紗は感じる。

 従兄のいたずらという現実が確定して仕舞えば、更紗になすりつけられたものはもう二度と剥がれない。
 ただの疑いの段階でさえベッタリと張り付いて取れやしないのに、認めて仕舞えば、それは剥がれる剥がれないと言ったものではなく、私そのものになってしまう。
 イタズラされた女というカテゴリーの人間に変容させられてしまう。

 更紗は理屈抜きに恐怖した。だから真実を話せば自分は助かる、わかってもらえる、仲間に迎え入れてもらえる、大丈夫なのだと信じることができなかったんだ。自分を取り巻く世界を信用できなかった。
 自分でも自分を許せなくなっていた。外の視線を取り込んで内面化していたからだ。

 自分が真実を話す勇気を持てなかった。そしてそのせいで文が犠牲になった……と更紗は感じた。
 

 私は読みながら真実に触れられない更紗の態度が何よりもどかしく、苛立ち、憤った。なんて思いやりのないことだろう。
 酷い誤解を受ける前に、何度も暴露する機会はあった。だけどできない。その更紗の苦しみをどうしてわかってやれなかったのだろう。
 跳ね返せ、跳ね返せ、跳ね返せ。黙ってちゃ変わらない。
 もしそばにいたなら、あなたは悪くないんだからと本人にも分かりきったことを言ってそうすべきだと強要し、追い詰めたに違いない。
 いつまでも肝心の行動をせずにいる彼女をもどかしく思い、勇気がないと詰ったに違いない。
 それは全く相手を尊重できない態度であり、理解しようとしない態度だった。

 文も更紗も、誰とも分かち合うことのできない(と思っている)傷と秘密、それを持つ自分を責める気持ち、引け目のために現実が見えなくなっていた。
 自分にとって重要な問題に向き合うことができず、先送りにしてきた。
 周囲を見る余裕を失い、肝心な時に人を遠ざけ、そのために知らず利己的にならざるを得なかったのだろう。

 ヤングケアラーの二人の恋愛模様を描いた『汝、星のごとく』でも感じたが、『流浪の月』でも自分や相手、世界を信じることができる健全な人にはおそらく理解し難い心理、行動、それによってひき起こる誤解や、生きづらさが丁寧に描かれていると感じた。

 私は『汝、星のごとく』でも優しすぎる主役二人に苛立って「親のことはもうほっといていいから」ともどかしく思ったのだ。
 目の前の彼らを理解しようとすることに踏みとどまれる私でありたい。と改めて思った。

 日をあけての感想メモなので誤解もあるかも知れない。もっと色々思ったことはあったと思うんだけど、今回はそんなところで。


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