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【投資小話】1人の投資家が一国の通貨を揺るがした話

ジョージ・ソロスの生い立ち

ジョージ・ソロスは、1930年8月12日にハンガリーのブダペストで生まれました。彼の本名はジョージ・シュワルツ(György Schwartz)で、ユダヤ系の家族に生まれました。ソロスの生い立ちは、第二次世界大戦中のヨーロッパの複雑な歴史と密接に結びついています。

1944年、ナチス・ドイツがハンガリーを占領した時、ソロスの家族はユダヤ人であることから迫害の危険にさらされました。彼の父親は、家族を守るために偽の身分証明書を取得し、家族の姓を「シュワルツ」から「ソロス」に変更しました。この名前変更は、家族がナチスの迫害を逃れるのに一役買いました。

戦後、ソロスは1947年に共産主義政権下のハンガリーからイギリスに逃れ、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)に入学しました。LSEでの学びはソロスに大きな影響を与え、彼はカール・ポパーの弟子となり、「開かれた社会」という哲学的理念を学びました。

学業を終えた後、ソロスは金融業界に進み、ニューヨークに移りました。彼はウォールストリートでのキャリアを積み、1973年に自身の投資ファンド、ソロス・ファンド・マネジメントを設立しました。

ブラック・ウェンズデー


話は1992年にさかのぼります。当時、イギリスは欧州為替相場メカニズム(ERM)の一員で、ポンドの価値をドイツのマルクに対して一定の範囲内で保つ必要がありました。しかし、イギリス経済の基本的な問題と高い利息率により、ポンドは割高とされ過大評価されていました。

この状況を見て、著名な投資家ジョージ・ソロスは、イギリス政府がポンドを防衛し続けることは不可能だと確信しました。彼は、ポンドが下落することを見越して100億ドル(約1兆円)ショートポジション(売りポジション)を取りました。

1992年9月16日、イギリス政府はポンドを守るために利息率を驚異的な水準まで引き上げましたが、市場の圧力には勝てず、最終的にポンドの価値を放棄しました。その結果、ポンドは大暴落し、ソロスは10億ドル(約1400億円)以上の利益を得たと言われています。

この日は「ブラック・ウェンズデー」として知られるようになり、FX市場の歴史における最もドラマティックな出来事の一つとして記憶されています。ジョージ・ソロスのこの行動は、一人の投資家が巨大な市場にどれほどの影響を与えるかを示す、顕著な例となりました。

「イングランド銀行を負かした男」として」有名になったソロスはその資産を使って、世界中の民主主義と人権の促進に貢献する多くの慈善活動にも関与しています。彼の生い立ち、哲学的背景、金融市場での成功、そして社会的・政治的活動は、彼を20世紀と21世紀の最も影響力のある人物の一人にしています。

1人で一国の通貨を揺るがすのはすごいですね!
この話を知って大口投資家や機関投資家が作り出すトレンドには逆張りするべきではないと再認識しました!
これからも投資から学んだことや投資にまつわる面白い話などを共有していきます!

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