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いてもたってもいられなくて読書感想文を深夜3時に書く

もうめちゃくちゃに日記。

三島由紀夫「命売ります」を読んだ。

感想は「おれにはまだ早かったかなぁ」だ

世の中には合う人、合わない人がいて、それはほんの少しのことだけど、決定的なもので、話せばわかるし、一緒にいればわかる。

本についても同じことが言えるのかもしれない。もっと三島由紀夫を知っていればもっと楽しめたし、自分だと思って読めたかもしれないけれど。

でも、「命売ります」に出てくる描写はとてもとても洗練されているし、肉肉しいものがあった。時代背景とかこの年代の若者が考えていそうなこと、みたいなものも特徴を掴んでいると思うし、この閉塞感は三島由紀夫でさえ感じている(意識して書いている部分かもしれないけれど)ものなんだなぁと思いながら読んでいた。

もう一作。湯本香樹実「夏の庭」

「死」とそれにまつわる少年たちの物語。もう完全にスタントバイミーのにおいがしていて、ぼくのあたまのなかでは日本の話なのに、三人組の少年たちは完全に西洋風の見た目をしていた。

こういうときって一文でもいいから引用して書いた方がよいんだろうけど、付箋もメモもせずに読んでいるので、もう無理。

少年たちの不謹慎でも好奇心からくる行動、言動にはひやっとするけれど、僕たち「大人」は少年たちより、どれだけ大人なのか。わからない。

おじいさんの最後を幸福にしたのは彼らだった。けど、彼らは自分の生活、家庭環境、生きる道について、振り回される側でしかない。子供の無力さも同時に胸が痛くなるほど描写されている。

こどものときを振り返ると、ぼくは「死」というものに対しても「なんとなく口にするのが憚れるもの」としか認識していなかった。

中学生のころ祖父が亡くなったことについても泣いた覚えもない。顔はいまでも覚えているけれど、何を話したか、どんなふうに遊んでもらったか。全く記憶がない。

だから、ぼくが強く死を意識することになったのは大学生のとき。飼っていた犬が亡くなった時だ。


世話をおばあちゃんに任せていて、ほとんど構ってあげていなかった。たまーに遊んであげたりもしたけど、ぼくが家族の中で一番、関わりが少なかったと思う。

突然体調が悪くなってその日に死んでしまった。最初に思ったことは「たくさん遊んでやらなくてごめん」だった。申し訳なさが一番だった。

きっと本人からしたら、何を謝ってんねん。だと思うけれども。

でももっと家族の一員として仲良くしてあげることはできたと思う。いつのまにか世話を祖母がしていて、うちの家族はなんの責任も負っていなかった。

そんな気持ちだったし、ぼくはおそらく身近な人が亡くなったとして、一番最初に思い浮かぶことは「ごめん」なんだと思う。卑屈で自信がないように見えるけれども、傲慢で自分のできることを見誤ってる幼い精神性が現れているようにも思える。

だからこそ、この作品にでてくる少年たちの「死」への向き合い方はとても勇気をもらえる。彼らにとっては「あの世に味方が増える」という感覚がなによりも心強いものなんだと思う。それはきっと断片的でしかない世界で、自らの運命さえ誰かに委ねることしかできない今を生きる支えとなっているのだと思う。

ということで、夜中に読んで、どうしても書きたくなってしまった金曜日の夜でした。

おんなじ本読んだ方、ぼくは、私はこんなふうに読んだよって教えてくれると嬉しいです。

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