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反応がいいとそれはそれで不安

書き方のnoteがたくさんあるけれど、どれも読む価値がほとんどないと思っている。

ほとんどのものの動機が、書くことについて書くことがたくさん読まれる、というのを狙った記事だからだと思う。

書く側も読む側も「書く」というnoteにアカウントがあれば全ての人が共通しているもの、に浅く反応しているだけだからだ。

浅い反応、というあいまいな表現したけれど、ここでは書く側は「そういうのって見られるよね」読む側は「参考になれば良いな」くらいのテンションであることを指している。

そういうものはひとつの経験でしかないし、幾度の試行錯誤の上に成り立っているものはほとんどない。

試行錯誤と強い思い、このどちらかがないと面白い価値のある記事にはならないのではないかと思う。

note側のアルゴリズムも「書くこと」についての記事をよくおすすめしてくるように思う。

今回は私の下記の記事がやたらスキしてもらえて読んでもらえていることから、おそらくnoteのなんらかのアルゴリズムにしたがってみなさんのもとに届いたのだと感じている。

たくさん読んでもらえてスキしてもらえるのはとても嬉しく、ふわふわした気持ちにさせてくれる。

ただ、この記事そんなに良いのだろうか。

日記でしかないしなぁと。

多少の思いと、全くゼロの試行錯誤でしかない。なんともすみません。という気持ちである。

いつも書きたい、書けない、と書いてるだけだけど、少しは誰かの気持ちに寄り添えているのかな…どうだろう。

スキしてくれた方が日記、エッセイ、小説を書いている人だと特に嬉しいのはきっとその寄り添えている感覚があるからなのだろうと思う。

良いか悪いかの自分の判断は置いておいて、スキの数だけ、少しでも誰かの何かになっている、と前向きに捉えることにしたい。

また日記も書こう。いつも書く書く詐欺だけど。

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