理解したを受け入れたと捉える人たちに辟易する
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理解したを受け入れたと捉える人たちに辟易する

はじめに

本記事のカバー画像は Vladimir Fedotov による Unsplash の画像です。

最近「ちゃんと理解してくれた?」ということを聞かれた時に「理解したけど、そういう行動を取るつもりはない」というと、「理解してないじゃん」と言われることが何回かあったので、その時の対処法及び感じた心情などをこの記事で吐露したいと思います。

(年始からこういう記事を書くのは気が引けたのですが、あまりにも本記事タイトルのような方と多く遭遇したため...

理解するということ

「理解する」というのは、相手の言動の意味が正しく分かったということを意味します。その言動をそのまま自身に取り入れることは意味しません。例えば、犯罪者の行動理由が正しく分かったところで、それを自分の行動規範に取り入れることはしないはずです。

双方がコミュニケーションを取り正しく分かったという状態になっている前提ですが、「理解したけど、そういう行動を取るつもりはない」という発言を受けてから「理解してないじゃん」という言動を発してしまうのは勘違いも甚だしいです。

上記はもはや理解した・してないとかの次元ではなく、相手を自分の言動でコントロールしたいがために会話している状態と捉えられても文句は言えません。一種のマインドコントロールに近いかもしれません。

ちなみにこの傾向は、直接話したいと言ってくる人に多いです。しかも、そういった人に限り相手の都合を考慮せずに何回も同期的なコミュニケーションを取ろうとしてきたり、スグに語気を強めて自分が不満であることを感情でアピールしようとしてきます。また、「絶対」 とか 「必ず」 とか 「必要」 という言葉を不適切に多用する傾向が多いです。
例えば、突然語気が強くなったり、攻撃的なメッセージの後に「電話して」等送ってくる人らが該当します。更に特筆すべき事項としては怒ったと思ったらいきなり優しくなる DV の典型的なパターンであることが多いです。

筆者はコミュニケーションは双方の歩み寄りが前提で成り立つものと考えているので、そういったやり取りになってしまった場合は残念ですが、親戚だろうが親族だろうが関係なく断絶か、それが出来ない場合は自分から可能な限り距離を置くようにしています。

受け入れるということ

「受け入れる」というのは、相手の何らかの言動をそのまま自分に取り入れることを意味します。相手の言動を理解した上で、自分が間違っていたり知識不足であった場合に、それを認めて言動を正しく自身に取り入れるということは視野を広げる上で重要です。

しかし、注意点として「理解してないけど受け入れる」場合は、自分で何も考えないで言動を取り入れることを意味するため危険です。

世の中には根気よく話せば伝え方を変える等の工夫をせずとも無条件にこちらを説き伏せることが出来ると思ってたり、一回考えを相手に話しきったらその思いが全て伝わり、勝手にこちらがその思い通りに行動すると思っている人が意外と多いです。

上記のような人物への対策としては、自分の言動の主導権を他人に握らせないが基本戦略となります。そういった人物は会話のペースや話の進め方が自分勝手なことが多いので、そこで折れずに反応もせずに自分の意思は持ちつつ、適当にいなすような感じで話を流すと無駄に疲れずに済みます。

例外として、自分が相手の言動に勝手にレッテルを貼り一方的に理解したつもりで、「受け入れない」という選択肢を取ることはオススメしません。自分の視野を狭める行為だからです。

つまり、理解するという行為はどんな状況であれ双方が取り組むべきであるが、受け入れる行為はお互いに選択の自由があるという前提を忘れずにいるべきと考えます。特に、こちらが決める権利があるはずの選択肢を、逆も然りですが、どんな人物が相手だろうがコントロールする権利は一切無いのでそのような話が出たときは注意する必要があります。

いずれにせよ、受け入れるというのは行為は、理解という前提があった上での、主体的な行動の結果であるべきと考えています。

自分を押し殺して受け入れるということ

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Photo by Jackson Simmer on Unsplash

前項でも簡単に説明した、「理解してないけど受け入れた」状態のことを指しますが、その場合のメリット・デメリットは下記になると考えています。

・メリット
 ・相手の言動が 自分にとって 100% 正しかった場合 、自分だけでは対処できなかった問題を解決できる可能性がある
 ・自分が納得することはないかもしれないが、少なくとも相手を納得させることは出来る
  ・あくまでも、少しの間は相手を静かにさせることが出来るかもしれない程度
 ・自分で考える労力を割くことが出来る。物事を真剣に検討するのにはそれなりの労力がかかる
  ・ただし、自分で物事を検討して行動するための方法が身につかない。他者に依存する
・デメリット
 ・無意識下に相手の意のままに行動させられる可能性がある
  ・経緯はどうであれ、自身の言動の責任は自身に帰属するため、責任を取る必要がある
  ・自分の言う通りに相手が動いてくれることが嬉しいと感じる人種は存在していて、その人達に面倒を見るといったような名目で監視されるようになる
 ・自分が検討して取り入れたわけではないため、その結果の是非に関わらず学びが薄い
  ・結果を反省して、自分の知見として次に繋げることがしづらい
 ・他人の意見に忖度して物事の決断を行うようになると、主体的に行動を起こすエネルギーが無くなっていく
  ・与えられた選択肢の中から最後に後悔しない決断が出来るのは自分しかいません
  ・選択肢の意味を正しく理解しないまま行動すると、失敗したときのダメージが大きくなります

上記を見ていただければ分かる通り、メリットは非常に薄い上に基本的にデメリットに直結するような内容が多いです。つまり、メリットに感じる点は刹那的な効用であって、本質的には問題の要因でもあるということです。

また、上記の中で最も重要な観点は他人の意見に忖度して物事の決断を行うようになると、主体的に行動を起こすエネルギーが無くなっていくという点です。筆者はこの点を生きていく上で非常に重要な点の 1つと考えています。

その理由として、主体的に行動を起こすエネルギーが無くなると、1日過ごす際の時間を有効活用できなくなったり、重要な決断をいつまでも先延ばしにしてしまうようになり、人生を楽しむ時間が削られていくと考えているからです。

要は、面倒だからと言って理解せずに受け入れたり、他人の意見に忖度して決断を行うという行為を繰り返してしまうと、時間を浪費したり、1日に楽しい時間を過ごせる割合が減っていき幸せの総量が減るということです。

理解したを受け入れたと捉える人たちへの対策

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Photo by Jaël Vallée on Unsplash

まず距離を置くという対策をオススメします。反論や反発はオススメしません。時間を浪費するだけでなく、無駄にダメージを負わされる可能性が高いです。また、強い言葉で一方的にコミュニケーションを取られた後「反省している」「言い過ぎた」等の言葉で優しくされたとしても決して距離は近づけないでください。もしそれで距離を近づけてしまうと相互依存のような形になっていき粘着されやすくなります。

内向的な人はただでさえダシにされやすいのに、粘着される人物が増えていくと自分の人生の主導権が握れなくなっていきます。自力で解決するにしても直接対決は言葉の通じない相手には無意味なので、とにかく距離を置いて接する機会自体を少なくすることが肝要です。

根本的な対策で言うと、少しでもコミュニケーションに違和感を感じたら早い段階で注意しておくことをオススメします。早い段階で内向型の人が注意すべき人の具体的な特徴を述べると下記があります。

・発言で分からない点について、詳細な説明を求めた時に攻撃的な反応を取られる
・こちらの都合関係なく電話等の同期的コミュニケーションを求めてくる
 ・一旦メッセージしてくれたら後で見るよと伝えた際に雑な反応を取られた場合はアウト
・こちらの意思を尊重しないコミュニケーションを求めてくる
 ・例えば 1人でいる時間を大切に思っていると伝えたときにないがしろにされたり、ディスられた場合はアウト

筆者個人の経験から言うと、上記に 1つでも当てはまる人物は大体アウトでした。

おわりに

ネガティブな出来事もただ愚痴を言うのではなく、その対策を知見として記事に出力することで、自分の考えの整理に役立つだけでなく、俯瞰で認識が正しそうか再確認することができて非常に良かったです。

特に内向的な人に向けたこういった知見は中々表に出ない印象があるので、引き続き何か知見があれば書き留めて行こうと思いました。

本記事内容が少しでも他の内向型の人の参考や助けになれれば、これ以上の喜びはありません。

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