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性教育、私の場合

私が4才くらいの頃、「赤ちゃんはどうやってできるの?」と母にきいた事がある。
母は、お父さんとお母さんが仲良く一緒の布団で寝ると来るのよーくらいの適当な返事をしたと思う。でも私は、そんなことで赤ちゃんができるわけがないと考え、どうしても仕組みが知りたかった。何度もしつこく私が尋ねるので、ついに母は『せっくすのえほん』という絵本を買ってくれた。この本はとても暖かみのある絵で、子どもの私にやっと答えを教えてくれた。

ーーー以下、父からの虐待ではなく、真っ当な性教育ですので、安心して読んでくださいねーーー

そして、私が小学6年生くらいの頃。私には2つ年上の兄がおり、主にその兄に向けた両親の性教育を、ついでに私も受けた。
父から居間に呼ばれた。母は台所で食器洗いをしながら話をきいていたと思う。
兄と2人で行くと、父はコンドームを手に「これは何でしょう」と私達にきいた。兄が何と答えたかは忘れたが、私はアメだと思った。そして答え発表の後、父は自分の指にはめて装着方法を教えてくれた。私も自分の指にはめて、装着する練習をしたような気がする。
そのあと父は、コンドームに空気を入れて風船のようにして、「ほら、こんなに膨らんでも割れない!」と言ったあと、爪楊枝でちょんっと刺して割ってみせた。コンドームの丈夫さと、もろさを教えてくれた。のだと思う。

この話を友だちや夫にすると、とても驚かれた。私も驚かれて何の意外も感じない。

両親はきっと、自分たちと同じ間違いをしてほしくなかったのだろうと思う。
とても残念なことに、母はお腹の赤ちゃんを諦めたことがある。母がまだ10代の学生のときだ。父との子だった。母は私達を産んでからもずっと後悔していて、供養のためにずっとお寺に通っている。

父からコンドームの装着方法を教えてもらった後、母からは、お腹の子どもを諦めるとき、病院でどのような手術を受けるのか。道具の形や、お腹の赤ちゃんがその道具によってどうなるのか、細かに教えられた。
とてもショックな話だった。絶対に同じことにはなりたくないと思った。

このショックの大きな性教育のお陰で、私は命の重さについて真剣に考え、性についても真剣に考えることができた。思い出すのも辛い話を、私達の未来のために、頑張って話してくれた母には、感謝している。

せっくすのとき、基本的に私は自分でお相手にコンドームを装着する。精子に触れないよう、爪などでコンドームをひっかかないよう、自分の意思と責任においてせっくすするのだという意味もこめて。
しかし、結婚して妊娠を望むまで、完璧に避妊できたかといえば、残念ながらできなかった。せっくすは相手があってできるもので、相手の知識が足りなかったのだ。昔お付き合いしていた、年上の、きちんとした仕事につき、真面目な人だった。私は油断した。射精しなくても精子はでていることを、その彼は知らなかったのだと思う。きちんと説明すればわかってくれたかもしれないけれど、若かった私は、この人は私を大事にしてくれない、と思い会うのをやめた。もし、その彼が私と同じような性教育を受けていたら、違ったのだろうか。(そのせっくすで妊娠はしませんでしたが、可能性は十分にありました)

そんな経験を経て、私はたとえ相手が年上であろうと、しっかり者であろうと、避妊の知識とは関係ないのだと学び、自分の身は自分で守るをモットーにしている。

性教育には、こういった望まない妊娠を避ける方法を教える他に、自分の心を守るための方法を教えることも含まれると思う。

私の場合、自分がせっくすしたいとき以外、せっくすに繋がるような触れ合いさえ苦痛になる。オセロがくるんっと返るように、受け取り方が全く違うのだ。若いときはそんな自分のことを私自身も理解できず、大好きな人と触れ合っているのにどうしてこんなに嫌なのかと、悩み、ストレスのあまりボーイフレンドの前で突然泣いてしまったことがある。
もちろん彼も私の状態を理解できず、オロオロするしかない様だった。
このオセロのような私を、自身で受け入れられたのは20代後半だったと思う。夫に出会い、本当に私を受け入れてくれる人だと安心してからだったように思う。したくないときには触れ合いさえ苦痛になることをはっきり伝え、したいときには自分の言葉ではっきり伝えた。夫は私の性質をよく理解してくれ、基本的に夫から私に触れてくることはない。これが私にとってはとても、とても快適なのだ。せっくすに関してのストレスがなくなって、ますます夫への愛情が深まった。

いつか私も、自分の子どもにはせっくすについて、命について、しっかり教えたいと思っている。

余談ですが、
私がせっくすしたいとき、夫に言う言葉は「今夜、どう?(片眉を上げる)」です。

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