持続可能なデジタル・ミュージアムとは(第4回):「モノ」か「コト」か
「モノからコトへ」というのは、マーケティングでよく見かけることばで、ここ数年来多用されていますが、かなり使い古された感もあります。「商品やサービスを得て、使うこと自体に価値を見出すモノ消費から、旅行や趣味など一連の体験全体を高く評価するコト消費へと消費動向が変化してきた」みたいな使われ方をします。
前にご紹介した「デジタルミュージアムに関する研究会」を受けた研究プロジェクトの中で、廣瀬通孝先生がよくこの「モノ」と「コト」の対比を強調されていました。検索してみると、その後あちこちで言及されていますが、こちらの2011年の『情報処理』の論文あたりが、早い例かと思います。
館の性格にもよりますが、リアル・ミュージアムでは、まず展示品(モノ)をモノとして見て理解してもらうことに力を注ぎます。理解、というのは必ずしも見る人がそれを説明できる必要はないと思います。「これヤバい」でも「尊い…」でも「(語彙力)」でもいいのです。展示してあるすべての品に対して、それを感じる必要もありません。展示品の中の一つでも、何か自分との間につながりがある、と思えれば、その方のミュージアム訪問は成功です。
一方で、モノにまつわるコトについての情報を得たい、コトについての情報を得て、より理解を深めたいという要求があるのも、もっともです。こちらは展示室内にあるしかけだけでは、なかなか応じられません。かつてはそれほど目立たなかったのでしょうが、世の中でこれだけ情報の取得が手軽になってくると、展示室の中の情報は足りない!という声が強くなるのは、時代の流れです。
また、年齢層が上がるほど、理解が言語化され、それが信頼できることの保証を求める傾向が強いようで、展覧会で解説パネルや音声ガイドが多用される要因の一つになっているような気がします。ところが、モノに関する説明は詳しくなればなるほど、展示品を取り巻く空間を占有し、モノ自体が埋もれてしまいます。以前、博物館内で何か問題が起こるごとに、注意書きの看板を増やしていったら、ものすごく不細工な光景になって、サイン全体の見直しになった、ということがありましたが、展示室内でも同じようなことが発生します。
で、最近ではデジタル技術が、紙を増やすのでは解決できない課題への対応策として導入されることが増えています。多言語化しかり、モノに関するコトの説明しかり、です。キャプションやパネルに盛り込みきれないことも、デジタルならば何とかなるのでは…ということで、それなりに実用化されているものもあり、技術的な提案がなされているものもあります。
このような新しいしくみを検討する際には、モノ・コトそれぞれの情報のどの部分を担わせるのか、という切り分けをあらかじめしておく必要があります。ここが不十分だと、何に役立つのかわからない中途半端なシステムになってしまった、ということが起こりがちです。
2014年に特集として担当した「伊能忠敬の日本図」を例にとって、このへんをご紹介してみましょう。東京国立博物館が所蔵する伊能忠敬の測量図の特色については《とーはくブログ》に私が書いた記事や展示品のリストなどをご参照いただければ幸いです。平たく言うと、伊能図の魅力は(1)でかい!(2)美しい!(3)細かい!の3つの要素によって伝わるので、これらをそれぞれ、どの伝達手段に配分するか、あるいはこの際あきらめるか、という切り分けをしていったわけです。
(1)でかい!の部分は、リアル・ミュージアムの本領で、伊能図は大きいもので縦3mくらいありますから、モノとして見ていただくには格好の素材です。まずは説明抜きで実感してもらえるように、大きな図を連続して並べます。(2)美しい!も、実は大きさと連動して理解されるものなので、あまり説明を加えなくても伝わります。伊能図のもう一つの大きな特徴でもある「正確!」も併せて直感的に理解されます。ちなみに(2)はデジタル情報としても相当程度伝達されますが、(1)はやはりデバイスに依存するので、よほど工夫をしないと、展示室での体験と勝負するのはむずかしいでしょう。
(3)細かい!は、地図のように「大きいのだが、記載が詳細にわたる」、つまりコトの情報量が莫大である場合に、実展示の企画者が頭を悩ませるところです。展示ケースに入れてしまうと、どうしても鑑賞者との距離が生じるからです。最近の特別展では薄いケースをあつらえて、見づらさを和らげるといった対応をする場合もありますが、そう簡単なことではありません。この特集の時は、よく美術鑑賞の方がお持ちの単眼鏡を使うとか、光学ズーム付きのデジカメで撮影してみる(東博は自館所蔵品の撮影は自由です)といったご提案をしてみましたが、ここでやはりデジタル情報の出番であることは言をまちません。
とは言え、「高精細の地図上を自在に動いて閲覧できるツール」といったものは、技術的にはそれほどハードルの高いものではないでしょうが、展示室にキヨスクを、とか、ネット上のサイトで、とかなるとそれなりのお金と人手がかかることで、コト部分の理解は、多くをミュージアムシアターや共同研究に当たられた慶応義塾大学の企画に担っていただくことにしました。実際、地図の情報量がいかに多いか、とか「そもそもどんなふうにして測ったの?」とかいった内容は、一度展示室から離れて理解していただき、その上でまた展示室に戻って、気がつかなかったことに気づく、という行き来をしていただくほうが、印象が深まるようです。ワークショップなども含めた企画全体を総括した論文が公表されていますので、ご参照ください。
*ヘッダ画像はColBaseより、伊能忠敬「日本沿海輿地全図」(中図)(東京国立博物館所蔵)
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