子供の頃の私
誕生秘話
今日は子供の頃の私について書いてみることにします。 地方公務員のごく一般的な家庭の三姉妹の長女としてこの世に生を受けました。私が誕生したのは盆の入り、体の小さい母に対して私は3500グラム以上もあり初産に時間がかかり過ぎた為、仮死状態で産まれ産声を上げることが出来ず生死を彷徨っている最中。「旦那さんはいませんか?酸素ボンベのレバーが硬過ぎて開けられないので手伝ってください!」病院側では危機迫った状況です。そんな中、当の父は・・・昔から落ちつきのないせっかちな性分。私が産まれてくるのも待ってられず自宅に戻り夏の高校野球戦のラジオを聴いていたそうです(笑)それでも私がこうやってすくすくと成長して来れたのもお盆に帰ってこられたご先祖様たちが助けてくれたんだと感謝しています。
躾の厳しい鬼母
古き良き昭和時代。決して裕福では無かったけれど毎日アハハ〜オホホと大笑いしながら愉快に過ごし将来のことなど何も考えてない能天気お気楽な我が家。三姉妹はよく喧嘩もしました。お姉ちゃんの命令は絶対!妹達は私の家来で言うことを聞かないと叩いたり引っ掻いたり・・・今思うと酷い姉でしたね(汗)でもその上を行くのは絶対命令の母親。母の躾はとても厳しく、三姉妹は自分の家事分担をあみだくじにて選択しなければなりません。掃除、洗濯たたみ、米とぎ、お風呂掃除、トイレ掃除、玄関はき、アイロンがけ・・・思い出してもキリがないほど家事全般をやらされその仕事が終わらないうちは遊びに行くことを許してもらえませんでした。当の母は家事のほとんどを娘達にやらせ近所の人とお茶のみか昼寝。子供心になんて理不尽なんだろって思ったものでした。母親の口癖は「あんたはお姉ちゃんなんだから!」「お姉ちゃんがちゃんとしないと妹達が全部真似するんだから!」お姉ちゃんなんだから、お姉ちゃんなのに・・・もう好きでお姉ちゃんに生まれてきたんじゃない!って言い返したい気持ちを堪えて母親には口答えすることはできませんでした。そのくらい怖い鬼のような母親だったのです。けれど母の躾は無駄では無かったと大人になって分かりました。おかげで三姉妹はそれぞれ家庭を持つようになってからも子供の頃からやらされた家事全般を戸惑う事無くすんなりこなせて行けるのを身に付けていたのです。
内弁慶なボスねーちゃん
母親の厳しい躾のせいかは分かりませんが、子供の頃の私は団体生活が苦手な引っ込み思案で内弁慶なおとなしい子でした。今思うと自意識過剰だったんだと思います。こうしたら怒られるんじゃないか?みんな私のことを見てる・・・周囲からどう思われているか気にし過ぎるせいで何も喋れず友達の中に入っていけないそんな内気な幼少時代。その反動で学校から家に帰れば大威張りのボスねーちゃんを発揮!妹達の前では本性を見せるという(笑)その正体がバレたのは小学3年生の頃だったと記憶しています。クラスメイトの男子の間でがスカート捲りが大流行。ある日その的が私の身にも襲ってきました。思いっきりスカートを捲られ顔が真っ赤に!その時思わずおっきな声で「やめて!!」って言葉が出たのです。普段は黙ったままの私が突然大声をあげたものだから周りにいた同級生はびっくり!その瞬間私の中で眠っていた何かがパァーって解放されたかのように吹っ飛んだのです。それからと言うもの一瞬で本来の自分、ありのままの自分を見せて良いんだと気づき学校生活も楽しめるようになったのです。
今回はここまでです。また私の思い出話を見にきてくださいね。長々と読んでいただきありがとうございました。
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