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ココロの時代をどう生きればいいんか?

妻に勧められるがままに読んだ。

後から妻に聞いた話やけど、めっちゃ売れてるらしい。

そんな訳やから、筆者のことは2人とも存じ上げへんが、読めば「なるほど」と売れている理由もわかるほどに良い本。

虹の空のYoutubeで深掘りをしてる最中やから、内容には触れへんけど、ザックリ言えば「生き方」と言うか、「在り方」を学べる本やった。

確実にモノの時代から、ココロの時代に移り変わってきてるんやろうなぁと。

やから、それも売れる後押しにはなってるとは思うけど、ただ目に見えへん時代の移り変わりがどうのこうのと言うより、僕たちの多くがそのことに気付いていること、意図せず求めてることが面白いというか、興味深い。

1981年生まれの僕は、漏れることなくモノが豊かな時代に幼少期を過ごした。

家にお金があったわけやないし、親がお金のことで苦しんでた姿も見てきたけど、食べるものがないとか、家がないとか、ライフラインが止まったとか、着るものがないなんてことはなかった。

それこそ、たくさんのモノを捨てるほどに不自由なく生きて来れた。それは、今でも変わってへんと思う。

まぁ、大人になっても親の庇護もなくなってからは、あの頃よりもギリギリ生きられる程度の低所得者ではあるけど、相変わらずモノはあるし、何よりも

あの頃よりギリギリやとしても

生きてるだけで幸せやとは思えるし、貧しさを感じることがない。

これが良いことなのかどうなんかは正直分からん。

ハングリー精神的な面で言えば、萎えてると見えるし、もっと(物質的な)向上心や欲をもって生きた方が良いんかも知れん。

それがより幸せな生活を保証するとも思えるし。

やから、ココロの問題は難しい。

聖人ならまだしも、普通の人間がココロだけ満たされて、幸せやったとしても、より幸せを求めるならモノとの両立はついて回る。

その狭間で苦しむ。

ココロが先かモノが先かみたいな。

まぁ、正解はどっちも。

ただ、幸せになりたかったら、幸せな人生を生きたかったら、ココロの幸せを満たすことからやないかと思う。

やとすれば、ココロを満たす度合いをどこまで低くして、そっからモノを欲しがる自分を認められるかが課題やな。

つまりは、バランスサイコーってことか…

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