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「&So Are You」第六話

第二章 Missouri,1963 Autumn

秋実る、僕らのアトリエ

 十月に入って少し経つころには、農場での収穫も終わりとりあえず一段落つく。

 一〇〇〇エーカーの畑はこの町では決して広いわけじゃない。今でも四〇〇〇~五〇〇〇エーカーになる畑をやり繰りしている大地主様だってごろごろいるくらいだ。

 自畑の収穫が終わると、他の農場に応援に行くのがこの町の慣習。よそ者には冷たく、身内の結束は岩よりも固い。内輪にのみ発揮される社交性を持った、すばらしく閉鎖的な町だ。

 ハンナは、ロザリーから引き継いだ〝サボリ場〟に足繁く通うようになっていた。なぜそんなことがわかるのか? 答えは単純、僕たちも他の農家の手伝いに行くといっては一緒にサボっていたからだ。

 ハンナが湖のほとりをアトリエとして使い始めたのをきっかけに、僕たちの仲は急速に近づいた気がした。

 その頃には彼女の足はすっかり良くなっていたが、それでもロザリーの家から湖まで歩くと一時間はかかってしまう。どうせ行先は同じだからと、グレッグをトラックで迎えに行く途中でハンナを拾い、僕たちは揃って公園へ出かけた。

 もちろん彼女も毎日来るわけではなかったから、当然そういう日は、ただ朝の挨拶をするだけでそのままグレッグのところへ向かうことになるのだけれど、とりあえずロザリー宅まで向かうのが日課になっていた。

「おはよう、ベン。ハンナったら今日も体調が優れないみたいでね、本当に申し訳ないけど、今日もお休みさせてほしいって」

 ここ数日具合が悪いのか、ハンナが顔を出さない日が続いていた。その日も、ドアベルを鳴らすと僕を迎えたのはロザリーだった。これで四日連続だ。

「大丈夫なの? もしだいぶ悪いなら、一度セントルイスの大きな病院に連れて行こうか?」

 心配する僕に、ロザリーはあっけらかんとした態度で笑った。

「ベンったら、嫌だねえ。女の子にはそういう日だってあるのよ。特にあの子は朝も苦手みたいだし本当に大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」

 迎えに来てくれて申し訳ないと繰り返しながら、ロザリーは僕のポケットにクッキーを突っ込んで、「グレッグによろしくね」と背中を押した。

 女って生き物には、いろいろと理解不能な部分があるのはわかっている。突然泣きだしたり、次の瞬間には怒りだしたり……。まあハンナの場合、いつも激しく騒ぎ立てているからそれがホルモンのせいだと言い切るのは短絡的かもしれないけど。

「生理だな! 間違いなく」グレッグは車に飛び乗ると、力強い口調で言った。
「やっぱりお前もそう思うか?」僕は胸ポケットからタバコを取り出し、火をつける。
「ああ! 間違いないぜ! しかも彼女、相当生理痛がひどいと見た!」

 医者みたいな口ぶりで語るグレッグに、僕は思わず鼻で笑った。

 草の上で寝転がりながら、なんとなくハンナのことを考えていると、グレッグが退屈そうにつぶやいた。

「お前たち、そこそこ進展はしてるのか?」

 唐突に訊かれて、僕は慌てて飛び起きる。

「ベン……おまえ、まさか、まだなにもしてないんじゃないだろうな?」

 グレッグが、飲もうとしていたビール瓶を持つ手をとめて、情けない声を漏らした。

「馬鹿言えよ! 彼女とはただの友達だよ!」
「ベン……つくならもっとマシな嘘をつけよ……どう見たって彼女に夢中って顔で、いつもハンナのことを見つめてるじゃないか。ハンナだって間違いなくお前に気があるぜ? とっとと受粉して、立派なモロコシベイビーを作っちまえよ」

 話の飛躍に返す言葉を見つけられないでいると、その反応の悪さにさすがのグレッグも呆れて、「お前……まさか本当に自覚がないのか? 冗談だろ⁉」と食い入るように覗き込んだ。

 僕は曖昧にうなずく。

「嘘だろ⁉ おまえ、鏡見てるか? そこの湖でもいい、一回自分の顔を映してみろ! ハンナを見るときのお前の表情は、まるで最高の出来栄えのトウモロコシを見つめる親父さん並みにうっとりしてるぜ?」

 例え話が生々しすぎて、全身に悪寒が走る気分だ。

「お前こそ、もっとマシな表現はないのか。ただでさえ嫌味な女なのに、今のでさらに心証が悪くなったよ」

「はあっ⁉ お前、なんにも気づいてないんだな。彼女の言葉は、嫌味なんかじゃなくってただの素直な感想だろ? それを誰に対しても堂々と伝える勇気と行動力。お前にないもの全部持ってるハンナに、お前は間違いなく憧れてるし、夢中だ」

 グレッグとは長い付き合いだ。子供の頃から本当の兄弟のように一緒に過ごしてきた。
 彼の楽天的でだらしのない性格の裏には、ブレない芯の強さがある。どんなに叱られても殴られても、納得いかないことには決して自分を曲げない筋金入りの信念を持った奴だ。

 そしてたまに核心に迫ることをいう。いつも粗放な振る舞いで父さんに檄を飛ばされ、アルコールに逃げてばかりいるように見えて、実はすこぶる高い洞察力を持っていることに、僕はたびたび驚かされる。

「それにお前、彼女がこの町に来てからというもの、お得意の〝退屈論〟を唱えなくなったんだぜ?」

 その言葉に目が覚めるような思いだった。たしかにハンナが現れてからは、もっと別のことを考えていた。そう、他でもない、彼女のことを……。

「おや? その顔は思い当たる節がありそうですな?」いやらしい笑顔でグレッグが僕の肩を撫でる。

「やめろよ! 気持ち悪い!」

 思わずのけ反って手を振り払うと、そんな僕を見て、グレッグは満足げに歯を見せて笑った。

「まあ、なんにしてもこの町の住人は、よそ者のハンナに対して風当たりが強いからな。いつまでも彼女がこの町に留まっていてくれるとは限らないぜ? そうなりゃお前の大好きな〝退屈論〟が一周回って戻ってくる。大ホームランだ」

 グレッグのペースに乗せられているのはわかってるのに、なぜだろう? あらためてはっきりそう口にされると、本当に彼女がどこかに行ってしまいそうで、妙に不安な気持ちに駆られた。

 そのとき、突然茂みがガサガサと音を立て、人の声がした。

「コラッ! ベン! グレッグ! お前たち、またサボってるのか⁉」

 お粗末な物真似だ。父さんの口ぶりを真似た女性の声。僕とグレッグは顔を見合わせ、揺れる茂みに向かって叫んだ。

「ハンナ⁉」

 背の高い茂みがきれいにふたつに分かれると、中から意地悪そうに舌を出して笑うハンナが現れた。

「なによ? せっかく声色までマネしたのに、つまらない人たちね」

「似てないにもほどがあるぜ! こいつの親父さんがそんな甘い声で叱ってくれるなら、俺は毎日だって仕事に行くぜ?」

 ハンナは体についた草を払いながら苦笑いしている。

「どうしたんだ、ハンナ! 体調が悪いんじゃなかったのか?」

「あら、聞いた? グレッグ。この町に来て四ヶ月近くになるけど、初めてベンジャミン君が私を名前で呼んでくれたわ!」

 例の如く、また僕を小馬鹿にした物言いだ。

「さっき茂みから現れたときだって、名前を呼んだろ?」

 ハンナはそっぽを向いて、鼻を高く持ち上げる。

「たしかにこいつが君に向かって名前を呼ぶのは初めてかもな? 俺と話すときは、『ハンナ! ハンナ!』って鼻の穴膨らましてやかましいほどなのに」

 グレッグが茶化してハンナを擁護する。こうなってしまえば僕はすっかり二人のピエロ。好き放題言われて、笑われるだけの役回りだ。

「出来の悪い生徒ほど可愛いもんだろ? 元教師としては」
「そうね、苦労した生徒ほどその成長はうれしいものよ! 次はなにを覚えさせようかしら?」

「好きに言って僕を笑い者にすればいいさ!」

 まるで人のことを珍獣のように扱う二人に僕はヘソを曲げ、麦わら帽子で顔を覆い、寝ころんで目を瞑った。

「あら? ベン、あなたに会いたくて、具合が悪いのに無理を押してここまで来たのよ」

 甘えるような声に思わず反応して体を起こすと、クスクスと忍んだ笑い声がやがて大笑いとなって、グレッグが腹を抱えてジタバタしだす。

「ベン! お前って奴は、本当にわかりやすいぜ!」

 ハンナも一緒になって、笑いを堪えるのに必死だった。

 やられた……。

「じゃあさ、不出来な生徒の成長を祝して、今夜俺たちと飲みに行かないか?」

 グレッグが彼女を誘うと、ハンナはあまり気乗りしない様子を見せた。

「どうせ具合の悪くなりそうなお店なんでしょ?」

 安い酒と不味いつまみ――目が痛くなるほど煙草の煙で曇った店内に、誰も聴いてない古ぼけたカントリーミュージック。たしかに僕たちが通う〝ドランクモア〟とはそういう店。ハンナには不釣り合いな場所だ。

「頼むよ、俺たちの友好の証としてもさ!」

 渋るハンナにグレッグは食い下がる。グレッグに泣きつかれ、困り果てたハンナは渋々首を縦に振った。

「わかったわ、でももちろん、あなたたちの奢りよ?」

 まさかの返答に、思わず声が漏れそうだった。彼女がこの町にやって来てからいつも感じること――そう、なにかとてつもなく素晴らしくて、新しいなにかが始まりそうな――そんな期待めいた予感だ。

#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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