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自分後回しグセの仕組み

この投稿の中のトイレに行きたい時に
行くというのが自分を大切にする第一歩って
書いたところ、
もう少し詳しく知りたいというメッセージを
頂いたので書いてみます。
メッセージをありがとうございます♥

「トイレに行く」ことの重要さを
分かって頂きたくて、この話しから始めます。

マズローの欲求5段階説って聞いたことありますか?

成長段階として下から上に順に上がっていく流れがあり
途中の段を飛ばすことは、できないと言われています

一番下の段の『生理的欲求』が
最もボリュームも大きく、
具体的には三大欲求の食欲、睡眠欲、性欲が
含まれています。
でも、ここには排泄も含まれていて
おしっこやうんちを出さずには
生きていけない大切なことです。

なのに、後回しにしちゃうんですよね。
息を吐くのを止めてる人も多いと感じます。
息をゆっくりと吐くだけでリラックスできるのに
息を止めることが増えるほど緊張が増えます。
集中する時に息を止めるのはアリとしても
それ以外の時間にもしっかりたっぷり
息が吐けていない方は
施術の時に身体に触れるとカチコチです。
生きるために必須の”出す”ことを
後回しにがちではないかなと推測できます。

例えば、
学校や職場でトイレに行こうとした時に
「ダメ行かせない」と言われたら
「酷い!」とか「なにを理不尽な!」って
感じると思うのです。

でも、自分には行かせないようにしてる方
多いんじゃないかな?
特に、
決まった時間に子どもたちを送りだすお母さんや、
仕事が忙しい人は
家族や仕事を優先して
自分のトイレを後回しにしていないでしょうか?

これをしちゃう人は
「自分さえ我慢すれば、この場は丸く収まる」とか
「自分が場を乱すわけにはいかない」とか
他のことでも自分を後回しにしてしまって
結果、表面的には丸く収まったように見えても
お腹の中では怒りが渦巻いていたり
いらだちが溜まっていったり
全く、丸く収まっていないと思います。


人って、人から大切にされないと
悲しみや怒りや虚しさを感じますが
実は、自分から大切にされないと
もっと強烈に悲しみ、怒り、虚無感を
感じます。
これは本当の自分を見誤り小さく見てしまい
自分の本来の姿の魂と通じ合えないから
じゃないかな…と感じています。

  (氣づいてないかもだけど本当は、
  自分に一番理解されたくて
  自分に一番愛されたいのです
  あの人からの愛じゃなく
  あなたからの愛を待ってるんです)

自分を後回しにするのは
クセでやっていることなので
秒でサラッとやっちゃうものだから
いちいち悲しんだり怒ったりを
実感していないと思いますが
お腹の中では泣いてるし
怒りが積もっています。

どうして秒でサラッと後回しに
できるかというと
自分のことをそれほどの価値もないって
思い込んでいるからです。

・お弁当を詰めることを遅らせるほどの
価値もないわたし
・わたしよりも洗濯物を干すことの方が大切だと
感じているわたし
・仕事の区切りがつくことの方がわたしよりも
優先度が高いわたし

が、存在しています。

自分のことを後回しにし過ぎて
便秘や膀胱炎になってる方おられませんか?

そして、排せつには『快』が伴いますが
これを自分に存分に与えることができない
わたしが存在しています。

自分に『不快』を与えることには
無頓着にOKするのに
『快』を与えることには無意識に
抵抗する人がいます。

この場合も
自分に価値がない、とか
自分は罪深い
自分は許されない
と感じていると
こういうことができてしまいます。

これらは、幼い頃に感じてつくりあげた
セルフイメージです。


脳はつじつま合わせが大好きだし得意だし
それをしないと落ち着かないから
ある出来事を体験した時に
はたからみたらとんでもない結びつけをして
結論を出します。

例えば、わたしは父から虐待されていましたが
なぜこんな目に遭うのか分からなくて、
そして、分からないことが苦しくて
『自分には価値がないから
こういう目に遭うのだ』と思い込みました。
この思い込みは自動的に生成するので
こう思ってるってことは氣がつけません。
大人になってカウンセラーになるための
勉強をしたり、セラピーを受ける中で
氣づいたものです。

で、この思い込みを生成すると
とても便利で楽になるんです。
父から虐待されても「仕方ないな」って
思えて耐えられるようになるんです。
「だって価値がない私が悪いんだもの
(快が得られなくて当然)」って。

父からの愛が欲しくてたまらない時も
家の中に怒鳴り声が響くことも
働かざるもの食うべからずって言われることも
ひとりで留守番しなくちゃいけないことも
小学生の時から家事をすることも
なんだったら台風がくることも
とんでもないことまで結びつけては
自分に価値がないから仕方ないんだってことで
納得していました。

この思い込みがあると
悲しいことに
自分のことを大切にする行動を
起こしにくい上に、
自分を大切にしない行動は
スムーズにできたりします。

えぇ??!!という内容でも
自分の脳内で整合性がとれていて
理不尽さがなく楽なんですね。

ものすごい勘違いなんだけど
それに氣づけないまま
いくつもの思い込みを抱えて
生きてしまうのです。
これが価値観やセルフイメージと
いわれるものの正体です。

人は6歳までに人生のシナリオを決めてしまう
と言われることがありますが
幼い頃につくりあげた思い込みは
外さない限りその通りに人生は展開するので
人生のシナリオと言われるのも納得ですね。

大人になって、この思い込みが
生き辛さに作用するのですが
(だってむちゃくちゃな整合性のとり方で
作ったものですものね)
自動的に作り、無意識にしまいこんだ上に
慣れ親しんだパターンでサラッと
繰り返しやっちゃえるので
思い込みはますます強化されて
思い込みに磨きがかかります。
それに氣づくには
カウンセラーの手を借りることが
近道だと思いますが、
自分の人生の中で繰り返し起きていることや
繰り返し味わう感情などを
突き詰めていくと発見できることもあります。

氣づかないと止める事ができませんので
生き辛さから自由になりたい方は
自分のことを観察したり
自問自答を習慣化することをお勧めします。

「それって本当?」
「なんでそう思うの?」
「なんのために、これしてるの(しないの)?」

忙しく走ってばかりいないで
立ち止まって自分に問う時間を
作ってください。

作れないとしたら
上記の問いを自分に投げてください。

「時間、作れないって本当にそうかな?」
「なんで時間作れないって思うの?」
「なんのために立ち止まらないようにしてるの?」

本当のことを知ることがこわくて
忙しくしていることもあります。
知ったら、慣れ親しんだパターンを
手放さざるを得なくなることを
身体の奥にいる自分は知っているから。

時に手放しや成長、変容には
苦痛や痛みを感じることがありますが
脱皮したあとは、
もっともっと自由で生きやすい
人生が待っています。







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