『結果を出す』ってフレーズを疑え!

もしも、あなたが
「子どもの頃から頑張り屋さん」
「小さい頃から真面目な努力家」
と言われたことがある人で
今、しんどくて生き辛いならば
『結果をださなければならない』と
思ってないか自分に確かめてください。

一体、いつから
なにをどうして
『結果を出さなければならない』と
思うに至ったのか
人によって
心当たりがあったり
皆目、見当がつかなかったり
すると思うんですが
私は、
・自分の居場所を確保するため
・見捨てられないように自分の価値を
示すため
ひたすら、結果を出すことに執着してきました。

でもですね、氣づいてしまったのですが
この「自分は欠けてる」思い込み出発の
結果を出すって、どこまでいっても
虚しさが深まるばかりで
一時的な繋ぎにしかならなくて
また、新たな価値を示し続けるために
奮い立たねばならなくなるのですね。

こんなのが苦しくないはずないわけで。

『結果を出す』のが面白くて仕方ない人を
除いて、やらんでいいこととちゃうやろか。
いやむしろ、禁止するくらいでいいのでは
なかろうか。

そもそも、結果って、なに?どこ?
どうなること?
区切りや節目はあると思うけど
どこまでいってもプロセスの連続で
「結果」と呼んでいるものの
意味を間違えてる氣がしてならない。

人間万事塞翁が馬のように
悪かったと思ったことが良かったことになり
その良かったと思ったことが悪かったになり
同じことでありながら
評価や色合いが全く変わってしまう。
そんな不安定な、変容するものを
「結果」という形に固めてしまおうとする行為は
無茶苦茶なんと違うやろか。

得たい結果を手に入れるという
成功のために
失敗しないように生きてきた私には
「失敗」や「成功」の響きまで全く
違って聞こえてくる。

ないんじゃない?
「結果」や「失敗」とか「成功」とかって
ほんとは存在しないんじゃない?

え?!
ヤバない??(笑)

そんな存在しないものを
目指したり
辿り着こうとしてたなら
疲弊や消耗するよね。

「結果」を出すことに囚われると
しんどくなる「比較」が生まれ
我慢しなきゃならないことが生まれたり
何かを犠牲にできてしまう。

うわ、ヤバ
激ヤバ

要らん💦

今すぐ『結果を出す』を
とっぱらって
続いているプロセスという
感覚を取り込む!

その道のりで
結果が出ることはあっても
結果を出すことだけは
目指すまい、と心に誓う秋の空でした。
(๑˃̵ᴗ˂̵)

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