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明日は我が身Ⅱ

学生時代の友人から久しぶりに連絡をもらいました。SNSで繋がっているため、私がくも膜下出血を起こしたこともその後、後遺症で悩まされていることも知っている友人です。
ランチでもいかない?ということで久々の再開となりました。

ブレインフォグ

会う前に事情は聞いていましたが、実は彼女はコロナの後遺症でブレインフォグに罹っていました。テレビで言葉を耳にしたことはありましたが、疲労や頭痛が続くそんな認識でいました。
ところが詳しく話を聞いてみると病院でついた診断名は「高次脳機能障害」とのことでした。

疲れやすく集中力が続かない、マルチタスクが出来ない。聞けば聞くほど自分と似た状態です。
コロナの後遺症が単なる疲労や頭痛だけではないのだということにとても驚きました。

そして"高次脳機能障害"と診断されたから、もしかして私のことを思い出してくれたのかな?そんな風に思いました。

診断と周囲の理解

幸い彼女は早々に大きな病院の脳神経内科につながることができ、診断がついたようです。
また会社の理解も得られているので、在宅で半日業務を休息を交えながら行っているとのことでした。

コロナの後遺症はまだまだ解明されていないようで、診断・治療ができる病院に辿り着くのは難しいと聞きます。
そんな中きちんと後遺症を診てくれる病院につながれ診断書をもらえたこと。産業医がいる大きな会社に勤めていたことは不幸中の幸いなのかもしれません。

多種多様な症状

お店でメニューが3冊運ばれて来た時点で彼女が
「ランチ以外のメニューを下げていい?」と聞きました。
何冊もあると気になって決められないのだと。

私は置いてあっても開いて無ければ大丈夫だけれど、彼女の気持ちはわかるなと思いました。

色々話す中で共通する症状、しない症状があることがわかりました。
高次脳機能障害と言っても多種多様なんだな、つくづく思いました。

それと同時に、普通の人にだって個々のこだわりみたいなものってあるなと思いました。
個々に持つこだわりを普通はスルーできるけれど、出来なくなってしまうことが高次脳機能障害の症状のひとつかもしれない、そんな気がしました。

当事者同士の気楽さ

今回会う約束をするにあたって、当日と予備日、2日用意しました。
最初の日、起きて疲れてたら予備日にしましょうと。

そして多少値が張っても静かなお店にしよう。
BGMが流れていても歌詞が入らない曲のお店にしよう。

困っていることや対策方法など情報を共有できるところもありがたいけれど、当事者同士で会う気楽さはこういうところにあると思いました。

苦手なことが多少違っても理解してもらえる安心感があるから、気楽に苦手だと言える。
そろそろ疲れたから休みたい。
このお店は無理。
そんな素直な気持ちを伝えても
"わがまま"と思われない?
と余計な詮索をしなくて済むことがありがたいです。

私もだよ、という声かけ

彼女と話す中で共通して辛いよね、となったのが健常者とのやりとりの中で発せられる
"私もだよ"という言葉です。

相手に悪気がないことは百も承知です。
でも「すぐ忘れちゃう」「覚えられない」と言うと
「私もだよ、やっぱり歳だよね」と返ってくることが多いです。

「あなただけじゃないから心配しないで、みんな一緒よ」
そういう気持ちなんだろうなと理解しています。

でもそうじゃない、残念ながらあなたと同じレベルの
「忘れちゃう」「覚えられない」じゃないんです。

わかってはもらえないことだろうと思っています。

忘れないようにとアラームをかけても、何のアラームだったか忘れてしまう。
「卵を買わなきゃ」と思っていたらいつの間にかカゴの中に卵が2パックも3パックも入っている。

相手にはわからずとも、自分が人と一緒ではないことは良くわかっている。
だから"私も一緒だよ"の声かけにとても傷つきます。
仕方ないことと思いつつも説明する度に悔しさと悲しさを覚えます。

そういう意味でも当事者同士でいることは気が楽だなそう思いました。

明日はわからない

前回彼女と会った時は互いに普通でした。普通って何か。
2人とも高次脳機能障害ではありませんでした。

そして私はくも膜下出血によって、彼女はコロナによって高次脳機能障害を負う身となったのです。

2人ともこんなことになるなんて思ってもみませんでした。
本当に明日のことはわかりません。

誰でもなる可能性があります。
私や彼女もまた別の病気を発症し、もっと重い後遺症が残るかもしれません。

だから自分がいま持つ後遺症以外のことも知り、理解を深めたいそう思います。

明日が我が身Ⅱというタイトルにしたのは、コロナによっても高次脳機能障害になるのだということを知ったからです。
今やコロナは誰が発症してもおかしくない状態になりました。
皆が警戒しなくなった時期に入ったからこそ、後遺症を持つこと、障害者となることが「明日は我が身かもしれない」そう思ってみて欲しいです。