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呪いの言葉?

"障害受容"
出来ていないと言われた
どうしたらできるのか?
出来なくて苦しい

障害受容にまつわるポストを度々目にします。

私も苦しみました。いや、過去形ではないですね‥
でも、以前より気持ちは楽になりました。

それでも、私にとって「障害受容」という言葉は未だ呪いの言葉のように思えています。

障害受容にまつわることは時間をかけて整理したいと考えていますが、とりあえず今思っているのは
"障害受容という言葉は患者の耳に入れるべきなのか?"
ということです。

正確なことは知りませんが、「障害受容という言葉だけが一人歩きして本来とは違う意味に使われている」そんなことを耳にしたことがあります。

言葉が一人歩きをしたと言えば、
「報連相をきちんとしましょう」
新人研修でこの言葉を耳にした人は多いのではないでしょうか。

この言葉は本来は
「報連相がしやすい状態を作りましょう」
という意味で山種証券の社長だった方が提唱したと言います。

それがいつの間にか
「下の人は上の人にきちんと報告、連絡、相談をしましょう」
という意味で新人教育の場で使われる程に定着してしまったのです。

「障害受容」という言葉ももしかしたら同じではないかと私は思うのです。
本来は「当事者が障害受容できる状態に、しやすい状況にしましょう」という支援者に向けての言葉だったのが、いつの間にか当事者がすべきことのような意味にすり替わってしまったのではないでしょうか。

けれども、これはあくまでも私の想像です。先に書いた通り最初はどういう意味だったのか知らないので、障害受容にまつわる本を読んでみたいと考えています。

ただ、障害受容の持つ意味が本当は、支援者に向けての言葉であってくれたらと思っています。

上手く動かない身体と頭。以前とちがう自分になったことだけで十分辛いところに、「障害を受容しないと」という言葉を突きつけられて本当に苦しかったです。

障害受容できていないと責めれられているような気持ちになりました。早くしなければと飲み込めない思いを必死に飲み込もうとして息が詰まりそうでした。

そういう意味で私にとっては障害受容という言葉は呪いの言葉のように思えています。

他の方がどのように障害受容をいう言葉を捉えられているのかはわかりません。どのようにして乗り越えられたのかもわかりません。けれども、少なくともこの言葉に苦しんでいる当事者は多いように思います。

少しでも苦しみが和らぐように支援者の方に手助けして頂けたらと思っています。