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中学3年生の見ている世界を文通で見る

かつて担任していた男子と文通している
彼が中3だった時の話
メールやラインがあっても、文通
私はびんせんに手書きでメッセージを書く
その子は世界で一枚だけ発行される通信で、私にニュースと思いを届けてくれる
15歳で多感
これでもかというくらい、中学生の視点で大人の世界を見ていた

受験という現実

彼の夢は医者になること
努力家である
目標がはっきりしているので、入りたい高校や大学までもう決めていた
だからこそ、試験や成績をよくするために必死だ
いつも定期考査の点数を平均点と一緒に教えてくれた
私が好きだとわかっている社会科はいつも満点か、それに近い点数を報告してくれた
それがなんともかわいかった
ただ、資質・能力の重要性が言われている今、ちょっと複雑な気持ち
あきらかに、「知識・理解」のテスト勉強に彼は没頭していた
がんばれ!と伝える
でも、それ以外に彼の熱意や資質・能力、生き方を評価して、夢をかなえる道筋をつくる教育にならないかとも思う
教育の理想と、受験という現実を夢にまっすぐな15歳の文章から突き付けられた

担任という現実

彼は中学1年生の時に担任してくれた先生が大好きだった
歌を歌ってくれたり、みんなの個性を認めてくれたりと、熱い先生だったようだ
しかし、夢を現実にするため、担任は教職から離れた
それから、がらっと変わってしまった
めちゃくちゃ楽しい中学校生活から、不満足な生活へと変わってしまったようだ
文通で担任の言動を報告してくれるが、どうも不快な思いをさせてしまうものが目立った
その担任にも、きっと言いたいことはあるのだろうけど…
彼の幸せを望む私としても、教育現場で働いている立場としても、落ち込んでしまった
小学校で勤めていると、中学生は大人に見える
しかも、中学校は教科担任制だ
小学校にも教科担任制の流れが始まっているが、それでも担任と触れ合う時間は、小学校よりも少ないはずだ
それなのに、やはり担任の存在は大きい
子どもたちが幸せになれる学校を作る責任は、やはり私たち教師が担っているのだと、いまさらながら思った

コロナという現実

中学3年生から見えるコロナは、私たち大人よりも怖いものなのだと感じた
学級閉鎖や濃厚接触者になることによる出席停止は、受験のための勉強に遅れが生じる
そして何よりも修学旅行
中学校の修学旅行は、一生で一度しかない
書くと軽いけど、中学3年生にとっては、とても重たい
「何としても行きたい」
と彼は書いていた
本当に、
「何としても行きたい」
のだと思う
コロナが自分たちの思い出をどんどん奪っていく
怒りは部活動でも同じだ
ことごとく大会が中止になった
彼は熱心な卓球選手だった
練習にも、一生懸命に打ち込んでいた
しかし、活躍する機会が奪われる
しかも、中学校生活は三年しかない
中体連は6月に地区大会がある
そこで終われば、部活は引退
中学3年生は私たち大人以上にやり直しのきかない毎日を送っているのだ
コロナは、私たちに止めることはできない
せめて、私たち教師も、今日を大切に生きなければ、彼らの前に立つのは申し訳ないとも思った

                           三浦健太朗

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