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機能不全家族

気づきたくない。
目を背けたい。
そう思っていた事実。

私は、母親に受け入れられなかった部分がある。
母親は、絶対にその件に関しては
受け入れなれなかった。

私が小さい頃、泣いた時。
私は泣き虫だった。
泣いた私に寄り添ってくれたことは一度もなかった。
いつも冷たく接せられるか、
1人で泣くわたしを放置するか、
どうでもいい感じで、呆れた感じでなに?って言われるだけ。
それはいつもの母親からしたら、
異様なことだった。
いつもは優しくて、笑顔だったし。
心配性の母親だから。
だからこそ、怖かった。
あ、泣いちゃいけないんだ。

そして母親と意見が違ったとき。
私の意見を聞き入れたことはなかった。
いつだって私は間違っていると言われ、
バカ呼ばわりされて。
いいからそうしろと。

私が高校生のとき、うつなんじゃないかって
母親に相談した時。
すごく、勇気がいることだった。
だけど向こうはとても迷惑そうにしてた。
なんでそう思ったのかを聞かれて
有名人の例を出したら
私が流されてそう思っていると言われ
真剣に病院まで探していたわたしに
気のせいだみたいに言った。

繰り返すけど、
いつもは心配性すぎるくらいの母親で、
門限もあったし、
帰り遅いと連絡がくるし、
安全な道を選んでくれるような母親だ。

私は混乱した。
二重人格までいかなくても、
この二面性はなに?って。

母親は、世間体が大事なんだなって。
そこで、もう母親は本当の意味で心配しているわけじゃないんだって。
私の人柄を見てるんじゃない。
単に私が自分の娘だからなんだって。

私は、無意識に母親が好むような行動をしていた。
母親が冷たくするのは、
私が気持ちを伝えた時。
だから私の気持ちを伝えないようにしようって。
そうやって、ピエロになって家を維持させていた。
何も問題がない、といいたい母親に、
合わせるように何もないフリをした。

そうしないとあの愛情は受けられない。
いつもの母親じゃなくなる。

そういった不安をいつも抱えていた。

母親は、強い人じゃない。

そういう家族を機能不全家族というらしい。

友達とかから、
自分の気持ちとか感じることを
親に言うっていうのを聞いた時に、
驚いた。
えっ、言うの?って。
そういう話はしたことなかった。
親が気にしている風も全くなかった。
話しても興味あるそぶりもなかった。
母親は、いつも自分の話ばかり。
自分の気持ちとかを話すことのハードルというか
気持ちの面でのしんどさしかなくて
言っちゃいけないことなんだと思ってた。

だから、私の10代は
そういう気持ちの発達がなくて
嬉しいも悲しいも、そういう感情が殺されて
わからなくなっちゃってた。
自分がどう感じるか、なんて
生活をする上で1番優先度が低いことだった。

だから、今でも自分の気持ちや意見に
自信が持てない。
違うと言われれば、違う気がしてしまう。

そういう自分の特性が
何故そう思ってしまうのか、わかっていたけど
わからないフリをしていた。
だけど、親と物理的な距離があいた今、
冷静に自分を見つめられるようになって、
わかってきた。

社会に出て思ったのは、
上の人の言う通り動いても
都合よく使われるだけ。
自分の意見がないと、
尊重されない。


私が母親にされてきたのは、
母親が都合よく支配して
自分がラクしたいだけだったんだって。

わかってしまった。
自分の意見がないことで、
社会で得したことなんて一個もないから。

今はもう、違う。
母親に気持ちを伝えて冷たくされたとしても、
私が困ることはない。
子供の頃みたいに、愛情を受けられないことが
死に直結することじゃない。

私はこの感情と向き合わないと、
きっと母親と同じ人になってしまう。
子どもが将来できたとして、
子どもの気持ちに寄り添えない人になってしまう。

だから、向き合うんだ。

自分と。


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