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Ep1_TRPGサークルに入会した頃

私がTRPGを濃密に遊ぶようになったのは、大学に入学してTRPGサークルに入会してからです。田舎から出て来て、雑誌などでTRPG知識を持っていたものの、プレイ経験は『D&D』キャンペーン1回のみ。赤本(大学入試過去問題集)を見てサークルの存在を知り、志望大学に入学すればTRPGサークルで思い切り遊べると憧れる若者でした。

 私がTRPGサークルに入会したのは1990年(平成2年)。奇しくも、ホビージャパン社の『RPGマガジン』創刊と同時期です。それから30年の月日が流れて紆余曲折がありました。昔と今との一番の違いは、サークル内でのプレイ環境が整備されたことです。ゲームの話をおいといて、世間一般では「昔は良かった」と懐古主義者が語ることがあります。ですが、敢えて「昔は悪かった」ことを書きます。昔の新歓活動がどんなものだったのか。そして、鬼王会長のサークル改革を横で見ていた同期生の視点から当時の想い出を語ります。2010年代のサークルを都市に例えるなら、昔は荒野でした。地道に人を育て、運営体制を作り、発展してきました。

(1)新歓説明会と初『超人ロック』
当時のTRPGサークルは新歓活動を積極的に行っていませんでした。前年の1989年に10人以上の新入生が入会した反動だったのでしょうか。他のサークルが入会案内ビラ配りを熱心に行っていたのに対して、ビラを配っていませんでした。学生向け掲示板にたくさん貼ってあるサークルのビラの中に、TRPGサークルがあったかどうかも不明です。他の同期生がどういう経路でサークル説明会の情報入手したかは不明。しかし、私は大学の事務所を訪問し、説明会の日程を情報入手しました。後で聞いたところ、他にも1人、事務所を訪れた人がいたようです。

説明会当日、平日の4コマ終了後、十数名の現役会員と10名程度の新入生が教室に集まりました。次回会合からキャンペーンを行うので、卓分けが行われました。ここで、会長が困っていたようです。キャンペーンはOBがGMする『ワースブレイド』と『Role Master』の2卓しか準備しておらず、新入生を収容しきれないとのこと。急遽、1回生にGM立候補を募り、1回生が『ソードワールド』を立卓しました。詳しい説明もないまま、GMの傾向も知らないままに、私たち1回生はシステム名だけで選択しました。『ワースブレイド』に2名、『Role Master』に2名、『ソードワールド』にGM含め6名の新入生が振り分けられ、卓分けが完了しました。新入生だけの公式キャンペーン卓というのは後にも先にもこれ1回だけで、異例な状況でした。

 説明会の後、自由解散になりました。私は果敢にも「遊ぶ予定などないのですか」と会長に聞きました。「だったら、ついて来い」的に、溜まり場となっている2回生の下宿(ワンルームマンション)へ連れて行かれました。10人ほどの2回生と1人のOBが集まり、『超人ロック』(ハウスルール/アライメントロック)が始まりました。サポート役を付けられて、ルールを把握しないまま『超人ロック』に参加しました。キャラは、ニュートラル属性のナガト。5LVエスパーかつ防御特殊能力付きの強いキャラです。ニケ持ちヤマキIIと組んでかき回すも、勝利条件の難しいニュートラルは敗北。「実は生きていた」判定にピンゾロで2回復活して、ゾンビと怖れられたことが印象に残りました。
 他の1回生は、大半が自宅生だったので帰宅したようです。鬼王は麻雀に参加していたと、後で聞きました。後日、大学近くの居酒屋で新歓コンパが開催されました。なぜか、新入生は3名だけ。「会長はサイコロで決めるんや」という指示により、本気か冗談なのか、d100を振らされて、最も高い目を出した鬼王が次期会長に決定しました。サークル活動紹介オリエンテーションやお試し参加の単発セッションなどはなく、キャンペーンに突入しました。

(2)初めてのキャンペーン、初めての吟遊
 さて土曜日の例会当日、午前2コマの授業を終えてから教室に行くと「キャラ作成は事前に終わったよ」と冷静、非情な一言。なにかの手違いで連絡が無かったのです。1990年代当時はスマホがなく、携帯電話も学生が使うようなものではなく、固定電話を使っていました。本来なら上回生から電話連絡すべきところを、恐怖の逆ブッチ。気分を取り直して、プレイヤー全員が集まるまでにササッとキャラクターを作成しました。当時はキャラ設定を考える習慣は無く、データだけの素っ気ないキャラでした。2つ目のトラブルは、些細だが初心者プレイヤーにとっては悪夢。サイコロを振ると、能力値決定3d5で耐久値3を振ってしまったのです。ルールに厳格なGM(OBのN先輩)は振り直しを許可せず、このデータで参加することになりました。耐久力不足を防御力で補うとか、操手(パイロット)クラスを選択するとか少しは考えて作成しましたが、後になってあまり意味がなかったと判明しました。
 『ワースブレイド』はファンタジー世界にロボットを導入した世界観で、当時ホビージャパンが雑誌にリプレイ連載するなど普及推進していたシステムです。リプレイを読んだりしていたり、ロボット好きという理由でこの卓を選択しました。何話目かで初めてロボットが登場しました。GMが「君たちはロボット同士の戦闘を目撃した」と言うと「処理が面倒なので、予め戦闘しておいた」と用意しておいた戦闘経過を読み上げました。いわゆるGM一人語りです。当時はそんな用語を知らない初心者。こんなもんなのか、PCは何もしないのか、PCをロボットに搭乗させて欲しいとか思いましたが、GMに異を唱える事はできませんでした。その後、SF研究会のイベント「『ロードス島戦記』上映会&安田均・水野良・山本弘講演会」に参加するため休止したり、あまりセッション内容に印象が残っていません。6月下旬にGMが「つまらなくなったので、やめます」と言って、キャンペーンは5話くらいで打ち切り的に終わったような気がします。キャラ作成、吟遊詩人GM、打ち切り、という悪い思い出だけが残ったキャンペーンでした。逆に、だからこそ、より楽しいセッションを渇望する原動力となりました。OBのN先輩のおかげで、どうすれば楽しいセッション、キャンペーンにできるかを真剣に考えるようになったとも言えます。

(3)公式キャンペーン2回目と学園祭
 公式例会での2回目のキャンペーンは秋、10月開始。『AD&D』『Rune Quest(2nd)』ケイオス側、A会長の『ソード・ワールドRPG』の3卓のラインナップでした。若さゆえに混沌や悪役プレイに抵抗感があって『Rune Quest(2nd)』を避け、『AD&D』は前期と同じN先輩がGMだったので連続参加を避け、消去法で会長の『ソード・ワールドRPG』を選択しました。このキャンペーンも貴重な経験でした。なだらかな展開のストーリー、毎回のように登場する触手状のオリジナルモンスター、何があっても動じない淡々としたマスタリング。もう一人の1回生プレイヤー鬼王は「どんなシナリオでも、プレイヤーの努力で面白くできるはずだ」という信念を持って、頑張って盛り上げていました。独特のキャンペーンは翌年1月12日まで全12話の長期キャンペーンとなりました。キャンペーン終了をもって、入会1年目の公式活動はいったん終了しました。
 少し戻って秋、学園祭シーズン。「学園祭に何か出展するのか」と会長に質問したところ、特に学園祭企画をするのではなく、講義が休みなので合宿所を借りて、単発セッションなどを遊ぶということでした。キャンペーンを2話分、他に『AD&D』『クトゥルフの呼び声』『ドラゴンハーフRPG』など計5セッションおよび『超人ロック』やカードゲームを遊びました。翌年以降も、この合宿所を毎年の学園祭期間の講義休みや休日の企画で何度も借りたことがあります。今も建物は存在していますが、もう営業していません。社会人サークルでも利用したことがあり、一部のTRPGユーザーにとっては思い出深い建物です。

大学TRPGサークルに入って最初に驚いたことは、OB・OGが普通に活動参加していたことです。というよりも、キャンペーンGMを引き受けるなど積極的に協力している姿を見ていました。「サークル設立時からOBでした」と自己紹介されたN先輩には、キャンペーンに2回参加し、キャンペーンのプレイヤーとしても2回同卓して、年上世代ゲーマーの価値観を知ることができました。O先輩は一般企業に就職した後もサークルに参加し続け、ライフイベントの関係で休んだ時期を挟んで、今も活躍し続ける姿に感心しています。この2人がいなかったら、大学卒業後も積極的にサークルで立卓するという考え持つことはなかったかもしれません。偉大な先輩に感謝しています。