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【随想】「出会い」の形は様々

マッチングアプリの存在は、私の周りでは賛否両論ある。私は肯定派。
勿論、詐欺紛いの事や犯罪に繋がるケースがあるのも知っている。
が、極端な話、マッチングアプリで知り合うのも文通で知り合うのも何ら変わらないと思ってる。

先日ラジオで、数十年間異性の方と文通を続ける方のお便りを聞いた。
その方は、文通相手と一度もあった事がないらしい。楽しかった事、嬉しかった事、悲しかった事なんかをお互い伝えあって過ごしてこられていた。それぞれ別々に結婚されているらしい。
そんな素敵な関係を続けるお話にほっこりした。

手前味噌たっぷりだが、私の場合…
20数年前、友達と2人で「知らない人にメール送ってみよう!」と軽い気持ちでメールを送った事がある。今では信じられない事。
ネットリテラシーなんて言葉がなかった携帯電話が普及し始めの頃、メールアドレスは携帯番号を使っていた。
初期設定がそれだったので、社会全体が今と比べ緩かったのが想像出来ると思う。
そんな中私達は、ランダムに番号を入力したアドレスに「友達になりませんか?」と送信していた。今やると胡散臭さ満点である。
当然「存在しないアドレスです」となる中、遂に繋がった!最初は友達の方。次いで私。
下心満載の2人は、ウキウキで返事を待った。
友達の方は返事無し。
私の方は…返事来た!「何のイタズラ?」と…
その後結婚する事になる相手との、最初の出会い方である。

オンラインゲームで知り合った友達とオフ会をした事もある。
男女8人で、名古屋の夜を飲み明かしたのは懐かしい。今も時折やり取りできている。


純粋にお相手を探したい、友達を作りたいと思う人にとって、今の世は息苦しいのではないだろうか。
様々なツールが存在するのに、それらには大小あれど悪意がいる。
「いや、そんなことは無い」と、否定する方もいるだろうし、私も否定したい。
しかし、こういう手合いが蔓延っている。
少し前から小学校で「ネットに潜む誘惑・危険」等といった形で授業が行われているくらいだから、その蔓延ぶりは想像にかたくない。

そういった背景があるからなのか、人間不信に陥っている人を見かける。
上手くそこから脱却出来たとしても、自分を隠す形で発信している方を見るとやるせなくなる。
かくいう私もその一人。
SNSで顔を出したくない。
インスタやFacebookなんかで顔を出してる方はホントに凄いと思う。
きっと様々な事があったと想像するが、出会いも多くあったと思う。


「向こう三軒両隣」と、昔はよく言っていた。
お互い助け合わないと生活が成り立たない時期から時代は進み、人との関わりが疎遠になった方が居る一方で、田舎暮らしに憧れる方が増えてると聞く。
人との関わりに疲れたのか、理想の関わり方を求めているのか、そこに様々な思いがあると想像すると悲喜交々である。

多様性を謳う世の中で、理想論ではあるが全ての人に素敵な出会いがある事を望まずにはいられない。


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