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カウンセリングアニメとしての中二病でも恋がしたい

一期中盤までの「中二病でも恋がしたい」は最高のカウンセリングアニメだったと思っている。
トラウマから高校入学後も奇抜な言動をしてしまう中二病を引きずり、社会から孤立しようとしている六花。度々イマジナリーな世界に逃避するその心理的危うさはとても厳しい状態に見え、世界への認知の歪みすら伺える。
その六花を勇太が呆れたりしながらも自らの中二病であった過去を共有するものとして、付かず離れずの絶妙な距離から見守り、受け止めてやることで六花を繋ぎ止める役割を果たしている。
その距離感が絶妙なのだ。立花の中二病に迎合するでもなく、かといって否定して距離を置くこともない、呆れたり諌めたりしながらも、

ただ、一緒にいる

この距離でコミュニケーションをしている。
言動が奇抜だったり認知に歪みがある人と関わったことのある人は分かると思うが、これが成立するのはひじょうに難しい。
誰に矯正されたわけでもない特別ではない関係だけに特別で貴重なのだ。
勇太は中二病を卒業したふつうの世界から立花と付き合っている。それが立花とふつうの世界を結ぶ架け橋になっている。とてもとてもやさしい世界がそこにはある。
この黄金の日々といえる世界が続いていくことで、立花が社会とうまくやっていくことができる日がきっとやってくるとそう思える世界だった。

物語は終盤、立花のトラウマと向き合うという少し早すぎる外科的心理手段になっていって少し残念だったが、商業的にはまあ仕方ないのかなあと思う。

立花と勇太の日々に良き未来があらんことを。

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