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戸惑いのパンデミック

新型コロナウイルスが蔓延している。
中国における初期の封じ込めには失敗し、各国で対応されている状況だ。
日本においても各地で感染者が発生し、増加し続けている。
検疫と重篤患者の隔離で対応してきたみたいだが、ここ数日で様相が変わってきている。
Jリーグの開催休止がきっかけなのだろう。イベントやテーマパークの休止がはじまった。そして政府が公立小中高校の休校を要請するに至った。

私は専門家でもないしこの騒動に特に興味もないので間違っているかもしれないが、この新型コロナウイルスの特徴は2つある。

ひとつは、感染力の強さだ。
濃厚接触という同じ空間にある程度の時間いっしょにいると感染するらしい。それに感染しているかどうかの判定にハードルがある。感染が濃厚ならば検査できるらしいが、その体制がまだ不十分らしい。そして感染が濃厚でない場合は検査自体難しい。さらに感染していても症状が軽かったり出なかったりする事例が多いらしい。
こうなってくると感染者を全て特定して隔離するのは不可能に思える。
つまり感染が広がるのは不可避であるように思える。

ふたつめは、致死率の低さだ。
まだよくわからないが、新しい風邪の一種、もしくはインフルエンザの一種くらいの致死率のようだ。特に若い人には症状が重篤化する割合も低いらしい。もちろんゼロではないのだが、風邪やインフルエンザで亡くなる方はいるので、そことの比較になってしまう。

そこで社会的にふたつの戸惑いが生じているように思う。
 「いろいろやってもパンデミックはもう防げないんじゃない?」
 「このウイルスってここまでやるほどのものじゃないんじゃない?
みんなが恐れていたパンデミックってなんかもっと深刻なものを想定していたんじゃない?

Jリーグの決定や政府の方針を批判する気はないし、現状その決定が間違っているのかいないのか分かる段階でもないと思う。
ただ、イベントの中止休止、学校の休校には当然負の影響がある。経済は冷え込むし教育進度にもマイナスだ。子供の面倒をみる負担もある。楽しみを奪われたり経済的に致命的な影響を受ける人も多いだろう。

この「風邪の種類が一つ増えただけ」かもしれない状況に、社会的にどう対応するのか、戸惑いが生じている。
どこまで社会的負荷をかけるべきなのか?正解が確定しない段階で世界が戸惑っている。
新型コロナウイルスによる死者と、感染拡大阻止による経済的死者とを天秤にかけるリアルトロッコ問題を解く必要に迫られている。
そこまで致死率の高くない新しい疫病のパンデミックというものと、どう向き合っていくのか、政府もWHOも今のところ(病理的にはともかく社会的には)納得力の強い対応メニューを提示できていないように見える。

2月29日現在、世界はまだ戸惑いの中にある。

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