オーフ・ザ・レコード物語;20XX年のゴッチャ その104
呼び掛け
その日の正午、北朝鮮の朝鮮中央放送が昼のニュースの冒頭、国務委員会の声明を報じた。
「朝鮮民主主義人民共和国の国務委員会は本日ウイーンを発つ国際原子力機構の査察団を歓迎する。査察団は寧辺における彼らの任務を遅滞なく遂行できる…」
白山市でADE株が疑われる新型コロナウイルスのクラスターが発生したことで、IAEA・国際原子力機構の査察の開始が遅れるのではないかという懸念も一部にあったが、予定通りに進むらしいことがこれで明らかになった。
白山の封じ込め作戦の進捗状況を暫く様子見するとも思われたのだが、再燃したのが中国側であればそれ程心配にならないということのようだ。傍から見れば随分慌ただしくも思えるが、寧辺は北朝鮮側の封鎖地域からも遠い。
「核開発の凍結と査察団の受け入れという我が偉大なる共和国の寛大な措置が無条件で先行するのに伴い、国務委員会はアメリカに対し、核管理問題と二国間関係の改善を目指し、交渉をいつでも何処でも開始する用意があることを表明する。アメリカが我が国の自主権の侵害を止め、朝鮮半島に平和をもたらすよう希望する」
北朝鮮が交渉に応じるのは核管理問題であって、核廃棄を目指すとは言っていない。
アメリカとの直接交渉を通じて核保有国の地位を固めるのが北朝鮮の国是で、その点は変わっていないようだったが、凍結と査察を無条件で受け入れた北朝鮮の呼び掛けをアメリカとしても無碍には出来ないだろうというのがもっぱらの観測であった。
声明は更に人参をチラつかせた。
「寛大なる我が共和国の一方的措置に対して、アメリカが誠心誠意をもって対応するならば、我々はミサイル技術問題に関しても交渉の俎上に載せる用意がある。更にアメリカとの交渉が順調に進むならば、朝鮮半島の緊張緩和と信頼醸成を図るメカニズムを構築する為、中華人民共和国と南朝鮮を交えた四者会談の開催も我が共和国は受け入れるだろう。
偉大なる朝鮮民主主義人民共和国からのこれらの提案は長年敵意に満ちて来た朝鮮半島に恒久平和をもたらす最初の一歩となるだろう。アメリカのベン政権の真摯な対応を望む」
先の話とは言え、ミサイル交渉と四者会談の開催までも北朝鮮が一挙に持ち出してきたことは関係各国で驚きを持って迎えられた。北朝鮮の本気度を更に示すものと受け止められたからだ。
日本のテレビ各局の午後のワイドショーは白山市のADE株再燃を押しのけて、トップでこの問題を大々的に取り上げた。
「今まで北朝鮮には何度も裏切られてきたと言いますか、諸々元の木阿弥になってきたことや、北朝鮮が交渉すると言ったのが核管理問題であって、廃棄ではないという点を考え併せますと、糠喜びは禁物という気もします。さわさりながら、核とミサイル、緊張緩和と信頼醸成措置が、今回の提案通りに話し合われることになるのならば、条件付きではありますが、歓迎すべきと思いますね」
メトロポリタン放送に出演した外交評論家の簗瀬衛はキャスターの質問に応え、こう論評した。
「北朝鮮の本気度をどう思われますか?かなり高いと考えられませんか?」
「確かに現時点ではそうだと思います。そうでなければ、ここまで無条件に一方的に譲歩してくる筈はありません。ただ、北朝鮮の最終的な狙いが核の廃棄ではなく、核保有国としての地位の確立だとすれば諸手を挙げて歓迎するという訳にはいかないでしょう。北朝鮮の核とミサイルの脅威に直面している我々としては無邪気に喜んでばかりはいられないでしょうね」
「アメリカはどう対応すると思われますか?」
「けんもほろろの対応をすれば、北朝鮮に核とミサイルの開発に一層邁進する口実を与えます。ですので、交渉に乗り出さないという選択はあり得ないと思います。ただ、逆に言えば、今回、凍結と査察受け入れを一方的に宣言し、彼らが言うところの核管理とミサイル技術の制限問題の交渉を持ち出して来たということは、北朝鮮は自分達の核・ミサイル戦力に既に十分以上の自信を持っているという事の裏返しでもあると思います。それはそれで恐ろしいことですので、アメリカや関係国は決して油断してはいけない、中途半端な妥協は却って危険と考えるべきと思います」
「確かにそう考えると恐ろしい事に変わりはありませんね。時間が余りありませんが、日本政府としてはどう対応すべきでしょう?」
「手短に申し上げれば、これを機会に拉致問題の解決に繋げて欲しいですね。それと、後で請求書だけ回ってくるような事態は避けるべきでしょう」
「分かりました。有難うございました」
隠れ蓑
その頃、菜々子はパリのホテルの部屋でやきもきしながら自局の放送をネットで視聴していた。
本社国際取材部デスクの連絡も受けたが、時差ボケもあって菜々子はとうに起床していた。留守中の事態の急展開に、一刻も早く帰国したかったが、どうにもならない。何処に居たとしても、北朝鮮や白山に取材チームを送り出すことは出来ないのは同じなのだが、逸る気持ちを抑えるのは難しかった。
「大きな動きが相次いでいます。大変でしょうが、安全第一に鋭意、取材の継続を宜しくお願い致します。言うまでもありませんが、万が一、ADE株が拡散したら大事ですし、近いうちに始まるであろう米朝対話の先行きも非常に気になります。次の動き、そして、更にその先を考えながら、遺漏無きよう取材をお願いします。私は日本時間の明日昼過ぎには本社に戻るつもりでいます。何かありましたらいつでも連絡をお願いします」
特に具体的な指示を出せるような状況ではなかったが、菜々子はデスク一同を始め関係特派員に一斉メールを送った。
次いで加藤報道局長に大友の最新の様子と帰国予定を報告するメッセージを入れ、まだ朝早いがベルナールにDGSE・対外治安総局の担当者に面会を申し入れるよう依頼した。パリ時間の昼過ぎまでしか時間を取れそうになかったし、急な申し入れなので、実現しない可能性も高かったが、駄目でも仕方ない。しかし、先方も自分と話をしたいのではないかという淡い期待もあった。
その頃、パリ南方のオルリー空港ではAAI、エア・アンビュランス・インターナショナル社の空飛ぶ救急車が離陸前の最終チェックを行っていた。
機長のトニー・ジョンソンが飛行機に異状が無いことを確認し、乗客の搭乗を待っていると黒塗りのワンボックス・カー他数台の車両が近づいて来るのを視認した。
操縦席の窓から機体に横付けされた車列を見ると白い防護服に身を包みマスクをした一団がタラップを上るのを確認した。彼らが座席に収まれば管制塔の許可を待って離陸するだけだ。
患者の状態に問題は無いと聞いている。ウィーンまでそんなに時間は掛からない。昼までにはオルリーに戻れる。ジョンソン機長にとっては楽な仕事だった。
***
これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。
©新野司郎
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