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20XX年のゴッチャ その28

 首脳会談 
 
 金正恩総書記が、午後一時半過ぎに人民大会堂に到着すると出迎えた中国共産党対外連絡部の郭燿部長にまず記帳台に案内された。そこで、総書記は自分のペンをまず取り出そうとしたのだが、促され、用意してあった毛筆で記帳した。どのみち指紋は取れないよう指には処置を施してあった。
 
 控えの間に通され段取りの最終確認をしてから、総書記が会談の場に入ると習近平主席が待っていた。会談の部屋の中まで同行したのは通訳と記録係、護衛二人だけだ。
 
「お久しぶりです。主席閣下にこのような機会を賜り光栄至極です」
 総書記が一礼して更に少し近づこうとすると習主席は動かず、「お元気そうで何よりです」と応じながら手ですぐ横の椅子に座るよう促した。主席と通訳の声はスピーカーを通じて聞こえる。
 
 金総書記が再び軽く一礼して着座すると習主席も自分用の椅子に座った。かなり遠い。双方の警護要員が退室した。しかし、郭燿部長は残る。
 
「長い隔離は大変辛かったろうと思いますが、貴国の御事情を鑑みれば仕方のないことです。ご苦労をお掛けましたが、お変わり無さそうで安心しました」
 習主席の発言と通訳の声が聞こえた。
「お気遣いのお言葉に、心より感謝申し上げます」
 総書記はまた軽く一礼しながら、主席の労いに謝意を示した。
 
 習主席が切り出した。
「早速ですが、本題に入ります。お国の事情はかなり切迫していると我々は理解しています。これまでとは異なる新たな変異株の出現はお国にとっても、我々にとっても、そして、世界にとっても脅威です。総書記閣下はこれをどのようにお考えですか?」
「仰せの通りでございます。我々にとっては生存に関わる恐れのある脅威と申し上げるしかございません。我が国では現在総力を挙げて対応に当たっておりますが、独力で新しい変異株を完全に封じ込め、この世から消滅させるには大変厳しい状況にあると申し上げざるを得ません。如何せん、変異株はワクチンが効かないだけではないようで、我が国の優秀な科学者達も焦りの色を濃くしております」
「では、どうなさるおつもりか、お考えを聞かせて頂けますか?」
 
 会談の模様はビデオ・リンクで別室に中継されていた。常務委員会のメンバーや国家衛生健康委員会担当国務委員・趙龍雲らがじっと見守っている。
 
「習近平主席閣下と貴国政府のご助力無しでは大変危険な状況になり得ると危惧しております。何としてもご支援の手を差し伸べていただきたいと熱望しているところでございます」
 
 事前交渉の感触通り、金総書記は支援を申し入れた。
 
 習主席が応える。表情や声音はずっと変わらない。
「ご存じと思いますが、我が国でも感染者が出るとその地域を直ちに全面的に封鎖して、全員検査を徹底して繰り返し、陽性者は直ちに隔離、必要に応じて治療するのが常道でした。勝利への道筋です。それと同じ手法で、お国の変異株を封じ込めるべきと考えますが、それで如何でしょうか?」
「何卒、御支援の程お願い申し上げます」
 
 新型コロナウイルスが最初に流行した武漢は元より、その後三年程に亘って、感染が拡がった他の都市でも、中国政府は封鎖と検査、隔離をこれ以上ない程徹底することによって封じ込めに当たった。所謂ゼロ・コロナ政策だ。それには大変な数の人員と物量を必要とするのだが、中国にはそれが可能だった。
 
 北朝鮮の総人口は推定でおよそ二千六百万人。武漢の一千百万人に比べれば多いが、中国が本気になれば対処できる。
 
 習主席が続ける。
「その為には、医師や看護師、検査技師、物資輸送担当ら少なくとも十数万の人員がお国に入る必要があると考えます。それも宜しいですか?」
「承知の上でございます」
 
 金総書記は中国政府の全面介入を受け入れた。北朝鮮としては、検査キットや治療薬など物的支援だけで済むのならそうしたかったが、全国民の一斉検査をするには専門知識を持った膨大な数の人員も必要だ。やむを得なかった。
 
「恐れながら、十分な食料とエネルギーも我々には必要となります。是非とも御支援下さりますようお願い致します」
 金総書記がそう乞うと習主席は頷き、こう応じた。
「それもお任せいただきたい。算段しましょう」
 
 自国内の都市や村の完全封鎖を続けて変異株の流行が収まるまでやり過ごすという選択肢も北朝鮮政府にはあったが、それでは国がすぐに立ちいかなくなる。ただでさえ足りない食料の流通が滞り餓死者が頻出するようになる恐れも大で、そうなると封鎖は破れる。それに何よりも、金王朝支配の実働部隊である朝鮮労働党と軍のメンバーが動揺するのは避けなければならなかった。ADE株の脅威に最も晒されるのは彼らだからだ。
 
 北朝鮮では『苦難の行軍』を強いられた二十世紀末に、飢饉で二百万人とも言われる餓死者が出たと推定されているが、王朝は揺るがなかった。党と軍が安泰だったからだ。それが揺らいでしまっては王朝も国も危うくなる。
 
 習主席が続ける。
「早速、両国政府の部長レベルで封じ込め作業の具体的な工程表を確定してもらうことにしましょう。もう叩き台は出来ていますから、それ程時間も掛からずに纏まるでしょう。お互いに、その旨、明確に、直ちに指示を出すことで合意できますでしょうか?」
「承知致しました」
 総書記が応えた。
 
 金総書記にとって不幸中の幸いは、事此処に至って、北朝鮮に妙な手出しをする国は無いという確信を持てることだった。
 
 北朝鮮の崩壊は、周辺諸国にとっては悪夢のシナリオであった。中国政府は元より、韓国政府もアメリカ政府も、そして、日本政府も、内心ではそんなことをもう望んでいなかった。
 
 核・ミサイルとその技術、恐ろしい数の通常兵器、それに膨大な数の難民の流出を各国は恐れていたし、事後の状況がどう展開するのか余りにも不透明だったからだ。下手をすると米中の衝突に発展する懸念さえあった。
 
 中朝両国政府以外はまだ確認していなかったが、加えて、今、崩壊されるとADE株まで流出する。口の悪い評論家の中には『貧者の恫喝』と評する向きもあったが、その言い方の是非はともかく、北朝鮮による無言の恫喝はまさに一層強まっていたのである。
 
 習主席が手元の茶を口に含むと金総書記もそれに倣った。会談の最初のヤマは越えた。
 
 一息入れると、習主席が再び口を開く。
「さて、そろそろ、会談の公式発表の内容と段取りを確認する頃かも知れないですが、もう一つ、総書記閣下に受け入れてもらいたいことがあります。それは…」
 
 会談は続いた。
 
***

これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。
 
©新野司郎
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