20XX年のゴッチャ その86

 

コンスタント・フェニックス


 
「豊渓里の動きは続いているという事ですね?」
 
翌週月曜日午前、首相官邸で開かれた安全保障関係の事務方幹部会で、霞が関の官僚トップである官房副長官の神山俊介が尋ねた。
 
「そうです。実際に実験にまで踏み込むかどうかは不明ですが、その準備と思われる活動は相当進んでいるようです」
 
 鈴木信光内閣情報官が応えた。深いバリトン声が響く。声量は普通なのだが、良く通る。
 
「その他の動きはどうですか?」
 神山が再度尋ねた。
 
「アメリカのコブラ・ボールが嘉手納に飛来しました。コンスタント・フェニックスも近々来るようです」
 国家安全保障局長の小川武彦が応えた。
「アメリカは警戒していますね」
 
 こちらの声はやや甲高い。声量は小さ目だ。いつも周りが必死になって聞き取ろうとするので、大声を出す必要など滅多にない為でもある。
 
 コブラ・ボールはアメリカ空軍に所属する電子偵察機で、弾道ミサイルに関するデータの収集を主な目的としている。コンスタント・フェニックスは核実験等の監視に当たる偵察機だ。
 
 北朝鮮で弾道ミサイル発射の兆候がある度にコブラ・ボールはやってくるが、コンスタント・フェニックスの飛来は随分久しぶりだ。
 
「北朝鮮が核実験を最後にやったのは大分前ですよね?」
 神山が更に尋ねた。
 
「2017年の九月に6回目の実験をやったのが最後です」
 鈴木が応えた。
 
「いつでもやれる状態をまた作って見せるということですか?それとも本当にやりそうですか?いずれにせよ、その目的はどんなものが考えられますか?」
 
 いつもの事だが、神山の口調は極めて冷静だ。彼が興奮している姿を見たことのある人間など居ない。
 
「やる、やらないは別にしても、自分達が核を保有していることを改めて世界に思い出させようということでしょう。本当にやる場合は、加えて、核爆弾の小型化の成功を誇示したいのかも知れません」
 バリトン声がまた響いた。
「世界に示す、というのがポイントかも知れません。日米韓だけではなく、中国に対しても。つまり、封じ込め作戦で要員を北朝鮮国内に留まらせている中国に対するけん制にもなると踏んでいるのかもしれません。自分達が核を持っているのを忘れるな、という訳です」
 
「通常の感覚なら、今はじっと大人しくして、支援に感謝するものだと思いますが、北朝鮮はやはり違うようですね。そんな負い目など実験で吹き飛ばしてやるということかもしれません。一筋縄ではいきませんね」
 神山が言った。
「健康問題もあるという話も聞いています。引き続き、情報収集と分析をお願いします。
 特に、もしも、核実験に踏み切った場合、その後の事態の展開見通しも鋭意検討して下さい。他になければ今日はこの辺で」
 
 今も内閣府の非常勤参与の立場にある元内閣情報官の袴田から神山は甲斐機関の動きについて報告を受けていた。
 
 健康問題と聞いて小川は少し怪訝な顔をしたが、鈴木の表情は変わらなかった。
 
 神山は、この後、馬淵典夫総理に報告をする予定になっていた。総理と事務方の副長官の面会・打ち合わせがメディアに知られることはなく、ほぼ毎日報じられる総理動静欄に掲載されることも原則無い。
 
 
 
「つまり、見せ掛けではなく、実際に核実験に踏み込む準備をしているということだな?」
 
 その日午後、北京の中南海でも豊渓里の動きの続報が習近平主席に伝えられた。主席がこう問い質すと、中連部・中国共産党対外連絡部の郭燿部長が応えた。
 
「そうとしか考えられないというのが情報部門の分析です」
 
 感情の無いやや甲高い声が言った。
 
「我々の考えは伝えたのか?警告はしたのか?」
 
「直接伝えることは出来ませんでした。コロナを理由に面会を拒絶されたのですが、メッセージは伝えました。核実験には厳しい対応が避けられないという事も」
 郭燿部長が応えた。
 
「小癪なことよ」
 
 表情にはほとんど出さなかったが、習主席は既に怒り心頭だった。封じ込め作戦で大規模支援をした挙句に北朝鮮にそのような行動に出られては面子丸潰れだ。国内の非習派からも批判される。
 
「どうしてくれようか?」
 
 習主席はそう言って劉正副主席を見た。
 
「畏れながら、主席が御懸念されるのはごもっともなことと存じます。まずは北朝鮮指導部に働き掛け、実験を思い止まらせるのが早道かと存じます」
「言葉だけではこちらの言う事なぞ聞かんぞ」
「それはいつもの事でございます。手立てを考えますので、少々お時間を賜ればと存じます」
「それでも強行したら?」
「その時は、支援をいきなりストップすることも可能ですし、その前に、理由を付けて、現地の人民軍の警戒レベルを強化してしまうのも手かと存じます。或いは、その両方も…いずれにせよ、暫し、お時間を賜りたくお願い申し上げます」
「分かった。急いで欲しい」
「畏まりました」
 
 劉正副主席はそう応えると、郭燿部長を伴って主席の執務室を出た。
 
 その頃、平壌の金正恩総書記の特別執務室に再び一枚のファックスが置かれていた。また白紙だった。しかし、発信者番号が少しだけ異なっていた…。
 
 パリの大友達の定点観測に、この日、特筆すべき事項はなかった。
 
 

乱闘騒ぎ


 
 事件はその三日後に起きた。
 
 北朝鮮の核施設も程近い、平壌北方の支援物資集積場で、いつものように防護服に身を固めた北朝鮮軍兵士達が食料等を運び出していると、朝鮮語を話す一人の中国軍兵士が絡み始めたのだ。
 
「おい、お前達、いつまで貰い物に頼るつもりだ?」
北朝鮮兵達は表情を強張らせ、その中国兵を見る。
「応えろ。いつまで他人様に頼っているつもりなのだ?」
 
 北朝鮮軍の一団のリーダーらしい年嵩の男が近寄り、笑顔でまあまあと宥め始める。
 
「我々も上の指示でやっている。そんなことを言わないで欲しい」
 
 しかし、中国兵は止まらなかった。
 
「お前達もいっぱしの大人だろう。自分達で何とかしようと思わないのか?」
 
 挑発は続き、北側のリーダーの顔も強張る。
 
「お前達はそれでも男か?それとも乞食か?」
 
 最後の一言でリーダーが切れた。拳が唸った。殴られた中国兵が後ろに吹っ飛ぶと直ぐに双方入り乱れての乱闘が始まった。
 
 たまたま近くに居たWHO調査団の数人が駆け寄って制止しようとするが、手が付けられない。缶詰や玉蜀黍粉の小袋も飛び交い辺りはもうもうとしてくる。
 
 銃を持った中国兵数人も駆け寄り止めに入るが収まらない。
 
「ドゥ・ドゥ・ドゥ・ドゥ・ドゥ」
 
 暫くして射撃音が響いた。中国兵が上空に向けて威嚇射撃をしたのだ。
 
 事態はようやく収まり、双方とも怪我人を抱えながら引き下がった。乱闘は人数に優る北朝鮮側が中国側をこっぴどくやっつける結果になったようだった。
 
 両軍の憲兵隊もすぐに到着し、双方の関係者に対する事情聴取が始まった。
 
 真偽の程は不明だったが、新義州郊外の補給所では、同日、略奪騒ぎも発生したと伝えられた。
 
 その夜、中国政府は北朝鮮政府に厳重抗議した。北朝鮮兵が先に手を出したことと中国側に怪我人が圧倒的に多かったことを殊更非難し、支援物資の集積場や配給所の警備を強化すると通告、人民解放軍はAPC・装甲兵員輸送車と歩兵部隊を直ちに北朝鮮国内に増派し、順次警戒任務に当たらせた。
 
 WHO調査団は事の顛末を本部に報告した。中朝両国政府からの公式の発表は一切無かったが、乱闘騒ぎがあったことはWHO筋から漏れ、翌日朝、AP通信がこれを短く伝えた。
 
 
「北朝鮮に追加派遣された人民解放軍兵士はおよそ二千人、アメリカ陸軍でいうところの二個大隊規模です。素早いです。事前に準備していたとしか思えません」
 
 マキシーン・ウイラード国家情報長官が説明を始めた。乱闘事件が報じられた凡そ半日後、ホワイト・ハウスでは金曜朝のデイリー・ブリーフィングが開かれていたのだ。
 
「装備はAPCと小銃等で、歩兵レベルです。重装備ではありませんが、これでも十分睨みは効くでしょう」
 ウイラード長官が続けた。
「加えて、国境の中国側に居た機甲旅団二個分の兵力が待機位置を少し前進させ北朝鮮に近づきました。そして、もう二個旅団が、その後方に向かって移動しているようです」
 
「まさか侵攻の構えを見せているわけではあるまいな?」

 マイク・ベン大統領が尋ねた。
 
「それはありません。しかし、中国側のこの動きは北朝鮮も当然把握している筈です。あの辺りには朝鮮系の住民が沢山いますので…。増強の目的は圧力強化と思われます」
「実験などやるなという無言のメッセージということか?」
「ひとまずはそのように思います」
「ひとまず、というからには、その後があるのか?」
「封じ込め作戦の継続という名目の駐留の長期化、すなわち居座りに備えているのかもしれません」 
 
「それでは北朝鮮は黙っているまい。あの政権は自己防衛本能の塊みたいなものだ。ワイルド・キャット班の想定シナリオが生きてくるということだな?」
 
 今度はジュディー・アマール安全問題担当補佐官が応えた。
 
「左様にございます」
 
「北朝鮮軍も既に各地の警備を強化しています。増派された中国軍のAPCを遠巻きに囲む形で部隊を配置しています。特に平壌と寧辺周辺では厚い手当をしています」
 
 ウイラード長官が補足した。
 
「どのシナリオが当たるのか分からないが、彼らの動き次第では乗るしかないということか…」
 
 ベン大統領が誰に対してというでもなく呟いた。
 
「それも手かと存じます。半島情勢を一気に動かす可能性があります。緊張緩和には大きな効果があるかもしれません」
 
 再びアマール補佐官が応えた。
 

長白山自然保護区


 
「お、掛ったな」
 
 仕掛けてあった罠の一つに若い牝鹿が脚を取られ地面にじっと蹲っているのを猟師が確認した。
 
 罠は括り罠と呼ばれるタイプのもので、巧妙に隠して設置した踏み板を鹿や猪が踏み抜くとばね仕掛けのワイヤーが跳ね上がって足に纏わり抜けなくなるのだ。
 
 猟師は鉄砲を傍らに下ろすと持っていた棍棒を一閃した。
 
 長白山自然保護区は中国・吉林省の名山・長白山の西方に拡がる面積二十万ヘクタール近い広大な自然保護区だ。
 
 当然、猟は禁じられているが、この老齢の猟師はそんなことはお構いなしに長年密猟を続けていた。ピークはとうに過ぎたとはいえ、雪がまだ残るこの時期は密猟にはうってつけだった。獲物は本格的な春が訪れる前の貴重な蛋白源になる。
 
 男は罠を片付け牝鹿を担ぎ上げるとそそくさと車に戻った。
 
 本来ならその場で血抜きをし、内臓も処理したいところだったが、そうすると時間も掛るしはっきり跡も残る。保護区の監視員に見つけられるのは出来るだけ避けたかった。
 
 一時間程で家に戻ると裏庭で解体作業を始めた。いつものように手袋もせず、頸動脈を切り血抜きしながら内臓を掻き出す。次いで毛皮を剝いでてきぱきと捌いていった。手は真っ赤になるが、時折、ぼろ布で拭うだけだ。
 
 若い牝鹿の肉は柔らかくとても旨いのだ。それに、ヒレ肉やバラ肉を孫娘が働く食堂に持ち込めばいくばくかの金にもなる。
 
 男は上機嫌だった。
 
 
***

これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。 
 
©新野司郎

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