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20XX年のゴッチャ その31

 米中首脳会談
 
 ホワイト・ハウスと中南海の機密回線が繋がり、ベン大統領の前のモニターに習主席の顔が映し出された。北京時間では昼過ぎだったが、アメリカ東部時間では金曜の深夜十二時を回り、土曜の未明に入っていた。異例の時間帯だ。予告されていたとは言え、慌ただしい。
 
 いつもの表情で習主席が切り出した。
 
「ベン大統領閣下、お元気そうで何よりです。
このように遅い時刻に御時間を頂き、閣下の御協力に心より感謝いたします」
 同時通訳が一段落すると、ベン大統領は破顔一笑し応えた。
 
「何の問題もありません。早い方が良いのはお互い承知の事です。それで、北朝鮮の最高指導者殿との会談の結果は如何でした?」
 
 ベン大統領が金正恩総書記の名前や正式な肩書に言及しなかったことに習主席は一瞬ぎくりとしたが、そんなことはおくびにも出さず説明を始めた。
 
「単刀直入に申し上げますと、北朝鮮は我が国の全面支援を受けることで合意しました。週明けにも我が国の支援物資と医療・保健チームが北朝鮮に入ります」
「全面支援となると極めて大規模なものになるのですな」
 
 中朝国境地帯の最近の動きから、そうなるだろうとアメリカ政府は既に見ていた。
 
「支援物資の量や人員の規模はどの程度に膨らむ見込みですか?」
 ベン大統領が尋ねた。習主席が応える。
「食料やエネルギーも含めれば支援物資は百万トン単位になります。人員もそれに応じて、
十数万人という規模を下ることは無いでしょう。必要に応じて追加投入もあると思われます」
 
 事実上、北朝鮮は中国の半占領下に置かれるとも理解したベン大統領は更に尋ねる。目は鋭い。
 
「我が国も医療チームを派遣する用意がありますが、如何ですか?」
「それは北朝鮮が受け入れないと思われます」
 間髪を入れず、ベン大統領は問い質した。
「貴国だけで対処されるおつもりということですか?」
 
 北朝鮮は元々中国の同盟国とは言え、余りに好き勝手をされても困るのだ。事実上、北朝鮮を中国が半占領下に置く措置がなし崩しに恒久的なものになるのも認める訳にいかない。釘を刺さなければならなかった。
 
「いえ、我が国もそのようなつもりは全くありません。例えば、WHOから調査チームを北朝鮮は受け入れます。我々としても、変異株の確定調査はWHOに任せるつもりです。ですので、WHOの先遣隊にも週明けには北朝鮮入りしてもらいたいと我々は考えています」
「成る程、すると我が国や欧州はWHOに協力するだけと言うことになりますが、それだけですか?」
「いえ、治療薬を始め医療関係物資の提供をしていただけるのであれば、彼らも喜んで受け入れるでしょう。勿論、中国経由で運び込むことになりますが、治療薬の配布などはWHOの調査団に監督してもらうことで如何でしょうか?」
「ではWHOの派遣人員の規模や人選はどうなりますか?」
「それはまだ調整が必要かと思いますが、基本的にはWHOが決めるべきことと彼らも理解しています」
「すると私達西側の医薬品や検査キットなどは、御国経由としてもWHOに搬入と配布のモニターもしてもらうという理解で宜しいですかな?」
「中国政府としてはそうあるべきと思っています。これは彼らも受け入れるでしょう」
 
 治療薬と検査キットへの信頼は西側の物の方が遥かに高い。これは中国も北朝鮮も認識していた。封じ込めにはどうしても必要な支援なのだ。
 
「加えて、食糧支援を我々もするとなるとWFP・世界食糧計画に関わってもらわねばなりませんが、これは北朝鮮も受け入れますか?」
「それは今後の検討課題になるでしょうか…簡単ではないかもしれません」
 
 アメリカの食糧支援が結果的に北朝鮮軍の備蓄になってはまずい。モニター無しの食糧支援は出来ない相談だった。
「わかりました。食糧支援については今後の検討課題と理解しましょう」とベン大統領は応え、続けた。
 
「話は戻りますが、北朝鮮で出現した変異株はやはりADEを引き起こすと確認されたのでしょうか?」
「最終確認はこれからWHOの手によってなされるべきと我々は考えています。しかし、その恐れは強いと我が国政府も北朝鮮政府も考えています。
 申し上げるまでもありませんが、事は極めて重大です。北朝鮮一国の問題ではありませんし、我が国だけの問題でもありません。世界が大いなる危機に直面しているのです。
 貴国始め西側諸国も我々と一致団結して対処すべきことだと思います。これは御理解頂けるものと確信しています」
「その点は理解します。では我々も医薬品などの支援の準備をすぐに始めましょう。WHOの調整が済み次第、運び込みましょう。欧州との調整も我々が担いましょう」
「胸突き八丁はこれからですが、ひとまず意見が一致したことを評価したいと思います」
 
 米中首脳会談はADE株の封じ込めに協力して当たるということで基本合意した。
 
 習近平主席が再び口を開いた。
 
「最後になりますが、今後の予定をお知らせします。明日、日曜の朝に、中朝首脳会談をもう一度開きます。御反対がなければ、この中米首脳会談の内容も金正恩総書記に伝えるつもりです。それが終わった時点で、我が国は中朝首脳会談の結果、我が国が全面支援を実施することになったと手短に発表します。ワクチンの効かない変異株の出現と中国のWHO調査団の受け入れは、その後、多分、平壌時間の同日夜に北朝鮮が発表することになる見通しです。お含み下さい」
「分かりました。北朝鮮の発表まで、我々も何も公表しないようにします」
 
 この米中首脳会談の内容がアメリカ・メディアに漏れないという保証はどこにもなかったが、北朝鮮が発表し、その内容を確認するまで、先走りは禁物とベン大統領も認識していた。北朝鮮がいつ心変わりをするか安心できないからだ。ただ、事は重大である。失敗すれば北朝鮮が崩壊の危機に瀕することは彼らも分かっている筈だが、用心は必要だ。
 
 幸い週末に入る。きつい口止めをすれば、多分、ワシントンのメディアにも会談の中身までは漏れないだろうとベン大統領は期待した。
 
 箝口令
 
 日本時間のその日土曜夕方、北京で取材を続ける菜々子達は、半ば手持無沙汰に喘いでいた。厳しい取材制限の為、やれることは限られていたのだ。
 
 菜々子も彼女の情報源とメッセージのやりとりは出来たが、「何も分からない」という一点張りだった。菜々子が「でも、もう二回も会談したと思うのですが、それはまだ終わっていないということでしょうか?」ともう一押しするとやはり「何とも言えない」という回答だった。きっと会談は続くのだろうと推測するしかなかった。
 
 岩岡の友人も「何も分からないんだ。箝口令が敷かれているらしいぜ」と言うのみであった。こうなると中国メディアから情報が漏れ伝わる可能性も無かった。桃子のネタ元も「まだ続いているようだ」と言うだけで内容については憶測の域を出なかった。
 
 夕方のニュースも通り一遍の内容しか出せなかった。各社同様だった。
 
「少し飲むしかないですね」
 菜々子は岩岡に言い、缶ビールを開けた。待つしかなかったのだ。缶ビール片手に夕食のデリバリーを突っ付きながら岩岡が言った。
「珍しいっちゃ珍しいよね。こんなに何も出て来ないっていうのはさ」
 菜々子が応える。
「そうですよね。でも、もう一度会うとしても流石に明日か明後日には何か発表があるのではないですか?それでも何もないとなると会談は不首尾に終わったのではないかとまた騒ぎになるでしょうから、きっと動きますよ」
「そうかも知れないね。では、一両日中に発表なり動きがあるという前提で、我々はどう動くのが良いか考えてみない?大した取材も出来ない北京にこんなに沢山人が居てももったいないしさ」
「そうですね」
「一班、丹東にまた入れてみるかい?国境の動きも気になるしさ」
「それは良いかも…」
「戸山班を明日朝一番に行かせよう。もしも支援がすぐに始まれば確認できるだろうから」
「分かりました」
 
 菜々子が同意すると岩岡はすぐに戸山に連絡した。北京支局スタッフと共に丹東入りを指示したのだ。やはり手持無沙汰だった戸山達は夕食を掻き込むとそそくさと準備を始めた。
 
「それにしても、大きな動きがあると見た方が良さそうですね。これほど神経質になっているというのは…ADE株が出現した可能性が高いのでしょうね」
 菜々子がつぶらな瞳を岩岡に向けた。岩岡は一瞬ぎくっとしたが、邪念を振り払うように応えた。多くの男達が惑うのも無理はない。
「そうでなければ、このムードは説明できないかもね」
「戸山班には念の為治療薬も忘れずに持っていくようにさせましょう」
 
 翌日の手配を支局スタッフが終えると菜々子は近くのホテルの自室に戻った。
 
 湯船に浸かりながらつらつら考えてみるに、新型コロナを巡るこの先の見通しは芳しいとは言えなかった。確たることは分からなかったが、ADE株の世界的流行は是が非でも防いでもらわなければならない。関係各国一丸となって封じ込めに成功してもらいたいと菜々子も心の底から願った。
 
 運動不足で彼女のむっちりとした身体は重い。加えて、気持ちも暗澹としてきた。しかし、今、憂いても仕方ない。
 
 菜々子は太田博一の事を思い浮かべながら「よーし、元気を出しましょう」と自分に言い聞かせた。
 
***

これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。
 
©新野司郎
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