オーフ・ザ・レコード物語;20XX年のゴッチャ その89

 完了宣言

 
 
「現地時間の今日午後、我が国では夜になりますが、WHOは予想通り、封じ込め作戦のフェイズ2の完了宣言を出す予定でございます」
 
 翌月曜日朝、中南海の習近平主席の執務室に再び劉正副主席の姿があった。劉一人だ。
 
「これは北朝鮮政府の要請に因るものでございまして、宣言を受けて、北朝鮮政府も封鎖の更なる緩和を発表する見込みと聞いております」
 
「消滅宣言では無いのだな?」
 習主席が確認を求めた。
 
「消滅はしていませんので、それはございません。特別施設に隔離した四人は、一人死亡し。一人が陰性に転じた為、二人に減りましたが、ADE株の消滅にはまだ時間が掛かります」
 
「となるとWHOも残留だな?」
 
「その予定で、北朝鮮政府も了承しております。監視と調査を続けると聞いております」
 
「我々もだな?」
 
「はい。現在の計画では、ADE患者を隔離している特別施設の維持・管理と、各地にある補給倉庫の警備、そして、再燃に備える為の要員として、およそ3万人を残す予定でございます。勿論、今も続けております原則五日に一度ペースの全員検査も継続致します。北朝鮮政府も渋々とですが、了承しました。彼らも再燃には警戒をしておりますし、彼らが言うところの春窮期、春の食料不足の時期に入りますので、支援の継続は望んでおります」
 
 春窮期とは三月から六月頃まで、前年の収穫が底を突き、じゃがいもなどの収穫が始まる初夏の頃までの時期を指す。この期間、北朝鮮国民は毎年のように食糧難に苦しみ、前年の収穫が少ない年には餓死者も出る。
 
 今は封じ込め作戦に伴う潤沢な食糧支援のお陰で足りているが、支援が打ち切りになれば六月まではもたないのだ。
 
「実験は?」
 主席がテーマを変えた。
 
「現在の状況を不安定化させるような行動には中国政府は断固として反対する、場合によっては支援の打ち切りもあり得ると厳しく伝えております」
 
「どんな反応だ?」
「朝鮮半島の緊張が高まり、不安定化させることは彼らも望んでいないという回答でございました」
 
「やらないという確約は?」
「そこまではございませんでした」
 
「準備の動きは?」
「続いております」
 
「つまり?」
「彼らがその気になれば実験に踏み切ることは近々可能になると考えられる状況でございます」
 
 核実験場のある豊渓里では不審な動きが継続していた。それは中国政府もアメリカ政府も把握していて、警戒を続けていた。
 
「やる確率は?」
 習主席が苛立たし気に尋ねた。
「それは何とも申し上げられません。金正恩総書記の腹一つかと思われます」
 
「狙いは?」
「幾つか考えられます。国内的には人心を引き締め掌握する効果を狙っているのでございましょうか。対外的には自分達が核保有国であることを改めて示したいのかと。加えれば、アメリカを交渉の席に何とか引きずり込みたいと考えているのでしょう。ただし、対米策としては、従来通りの悪あがきに終わる可能性は大かと存じます」
 
「我々に対しても威嚇効果も狙っているのか?」
「彼らがそう計算していても不思議ではありません」
 
 核兵器の抑止効果は今も実に大きい。
 
 プーチンのウクライナ侵攻にアメリカやNATOが直接介入しなかったのも、その根本にロシアが核保有国であるという厳然たる事実がある。北朝鮮はこの核の力を知るからこそ開発を続けてきたのだ。
 
「我々も敵に回す覚悟はあるのか?」
「いえ、それは無かろうと思われます。しかしながら、北朝鮮国内で地下核実験をしたところで、プーチンの轍を踏むようなことを中国はしない、たいしたことにはならないだろうと高を括っているのでございましょう」
 
「どこまでも小癪な小僧よ…」
 
 習主席は口には出さなかったが、再び臍を噛んだ。そして、場合によっては、帰国時に中国に留め置くことも出来るのだぞ…そう考えていた。
 
 
 その夜、WHOは予想通り、フェイズ2の完了を宣言した。各社はこれを大々的に報じた。
 
 ジュネーブに入った山瀬とベルナールを除き、大友達は定点観測を続けたが、これと云った動きは無かった。
 
解除 
 
 翌火曜日、WHOが封じ込め作戦のフェイズ2完了を宣言したのに伴い、北朝鮮国内で発令されていた外出制限措置が更に緩和された。
 
 朝鮮中央通信の発表によれば、丁度月が変わるこの一日から、既に解除されていた出勤禁止措置に加え、生活必需品の買い出しや農作業、奉仕活動の再開が認められた。また、飲食店は持ち帰り営業のみ許されることになった。
 
 しかしながら、公共の場でのマスク着用は引き続き義務とされ、職場等での四人以上の集会は禁止、同居家族以外との交流も禁じられたままだった。
 
 丹東市など中国側の地区ではマスクの着用義務の継続、四人以上の会合の禁止措置は継続されたが、それ以外の規制は基本的に解除された。症状の有無に関わらず五日に一度の全員検査は続けられる。指定地区と外部の往来は移動前の検査で陰性であれば隔離無しで認められることになった。
 
 メトロポリタン放送の昼ニュースは、こうした動きを報じると共に丹東の戸山特派員のレポートを報じた。
 
「WHOのフェイズ2完了宣言と中朝両国の規制緩和措置の発表を受け、国境の動きに変化が見られるようになりました。
 これまでは朝から午後二時まで中国から北朝鮮に、午後二時から反対に北朝鮮から中国に向かう車列しか観察されませんでしたが、今朝は北朝鮮から中国側に戻る車両が次々と国境の友誼橋を渡るようになりました。それも中国側の兵士を乗せた車が大半で、中国は北朝鮮国内に派遣した要員の撤収を開始したことが見て取れます。
 詳しい発表はありませんが、十万人ともそれ以上とも言われる中国の兵士らが帰国を始めたことは間違いなく、封じ込め作戦に伴って実施されていた大規模支援が縮小されつつあるようです。
 私共が撮影した中国兵らは帰国できることにかなり安堵しているようで、皆、一様に笑顔を浮かべ、中には北朝鮮に向かって手を振る兵士もいました。地元のテレビ局の取材に対し、兵士の一人は『封じ込め作戦の成功を誇りに思う。中国政府の力と寛大な心を世界に示せたと考えている』と語っていました」
 
「戸山さん、そちら丹東市民の様子はどうでしょうか?」
 東京のキャスターが尋ねた。
 
「丹東では二週間ほど前に既に外出制限が緩和され、出勤などが認められていましたので、今朝の人通りに大きな変化はありませんでした。しかし、昨日まで禁じられていた飲食店や娯楽施設の営業が再開されることになった為、そうした店の人々が開店準備に追われる姿が見られました。
 私共取材陣も外出が出来るようになりました。私もカメラと共に少し外の様子を見て回りましたが、皆さん、表情は明るかったと思います。私共が滞在するホテル近くのレストランの従業員も『これでやっと普段の生活に戻れるだろう。やはり嬉しい』と笑顔で語っていました」
 
「有難うございました。ご苦労様でした」
 
 世界の反応も基本的に歓迎一色だった。日本政府なども北朝鮮政府を始め封じ込め作戦に当たったWHOと中国政府の努力を讃える声明を発表し、順次渡航規制の解除を決定し始めた。
 
「ADE株が拡散しなくて良かったです」
「息子が北京に駐在しているので、これで安心しました」
 
 日本の国民も街頭インタビューで皆、安堵の声を上げた。中国で事業を展開する日本企業も次々に規制解除を歓迎した。平均株価も先行きへの期待から500円超上げた。
 
 北京支局では二番手特派員の佐藤俊介のチームが戸山班と交代すべく、丹東入りの準備を進めていた。その日の夕方には丹東に着く見込みで、戸山班も翌朝には晴れて北京に戻る予定だった。
 
 昼ニュース終了後、菜々子は加藤報道局長に報告に行った。
 
「今日中に佐藤班を丹東に入れます。戸山班は明日北京に戻します」
「分かった」
 加藤は何やら不機嫌だった。
「どうしました?」
 加藤は親指を立てて言った。
「これが煩くてさ…」
 菜々子は何も言わず、頭をちょこんと下げると加藤の部屋を出た。
 
 すると、ニュース制作部長の雨宮富士子が菜々子に近づき言った。
 
「国際取材部さんは人遣いが粗いから、戸山も大変よね。漸くお役御免のようだけどね」
 
 これにも菜々子は何も言わず、ちょこんと頭を下げて自席に戻った。
 

***

これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。 
 
©新野司郎
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