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20XX年のゴッチャ その27

 お茶
 
 翌日、北京駅に隣接するホテルの上層階の部屋でメトロポリタン放送北京支局の特派員・佐藤俊介は地元スタッフのカメラマンと共に、特別列車とその周辺の様子をずっとチェックし続けていた。張り込みを始めてもう一週間以上になる。佐藤は今日こそ動きがあって然るべきだと思っていた。
 
 部屋のベルが鳴った。
 
 少し早いが、また支局手配の弁当が届いたと思い、佐藤は重い身体を自ら引き摺り上げるように椅子から立ち上がりドアを開けた。
 
 しかし、弁当のデリバリーでは無かった。公安の制服を着た男二人を従え、私服姿の男が立っていた。
 
「こんにちは。安全確認に来ました」と言い、男は身分証を出した。中国の公安要員だった。
「すいませんが、部屋の中を見せてもらいます」
 男は佐藤の返事を待たず、彼を押しのけるように部屋の中に入ってきた。三脚に据え付けたカメラとカメラマン、機材が当然目に入る。
 
 男が後ろの二人に合図すると、制服姿の二人はずかずかと窓際まで歩み寄り、有無を言わさずカーテンを閉めた。
 
 男が言った。
「撮影許可は持っていますか?」
 佐藤とカメラマンが出した身分証をチェックすると男はこう続けた。
「身元を確認する必要がありますね。カメラを持って付いてきてください」
 
「一体、どういう事だ?中国政府の記者証だぞ。邪魔をするのか?」
 佐藤はこう言いかけたが、飲み込んだ。言っても無駄なのはもう分かっていた。
 
 佐藤と機材を抱えたカメラマンが男に先導されて部屋を出ると廊下の奥で抗議の大声が聞こえた。英語だ。
「ここは私が借りた部屋だ。私にはここにいる権利がある。記者証だって持っているだろう!」
 見覚えのあるイギリス・BBC放送の記者の姿がちらりと視界に入った。無駄な抵抗をしている。そんなことをしても拘束時間が長くなるだけなのだが、彼らはすぐには諦めない。いつもの事だ。多分、抗議の音声を隠し撮りしているのだろう。
 
 佐藤達は二階まで降ろされ、ビジネス・センターの一角にある小部屋に一緒に通された。身体検査は無い。
「記者証に記載の事実を照会させてもらいます。暫くお待ちください」
こう言って男は記者証を取り上げて出て行った。
 
ビジネス・センターの入り口には制服姿の公安要員二人が立っていた。こっそり抜け出そうとしても無駄だった。暫くして、ホテルのスタッフがお茶を運んで来た。
 
 遠くで喚き声が聞こえて来た。多分、イタリア語だ。ホテルで張り込んでいた取材陣は総浚いされたようだった。携帯などは取り上げられていなかったので、佐藤は支局にメッセージを送った。
「お茶に呼ばれました」
 
 かなり遠いが、駅の反対側のホテルに陣取っていた別チームも同様の目に遭っていた。
 
 岩岡は、最初、ソウル支局の戸山昭雄のチームをそこに配するつもりだったが、用心して良かった。中国政府発行の記者証を持たないソウル・チームがお茶に呼ばれていたら、結構な面倒になる恐れがあったからだ。不幸中の幸いと言えるかどうか分からないが、これは正解だった。
 
 報告を受けた岩岡は市内の北朝鮮大使館と天安門広場で観光客を装い徘徊しているスタッフ達に用心するようにメッセージを送った。いよいよ金正恩総書記が動き出すのだ。菜々子はやっと始まる首脳会談に身構えた。最前線の取材現場に居るわけでもないのにそれが記者の性だった。しかし、間もなく天安門広場に居たスタッフも排除された。ただ、大使館前のスタッフには何も無かった。
 
 およそ二時間後、天安門広場前の大通りを遠くに見渡すホテルの部屋にいた戸山班が車列を捉えた。金正恩総書記がいつも使う黒塗りのベンツ二台と北朝鮮の警護の車が二台、それに何故か救急車が付き従い、前後を中国の公安車両が固めている。
 
 アメリカ大統領の車列にも救急車が加わっているのが通例だった。万が一の時の救急スタッフが乗っている。加えて、重武装の警護要員が潜んでいても不思議ではない。車両の中の様子は外からは分からない。
 
 人民大会堂の敷地に入る様子は死角になって見えなかったが、そこに入ったのは間違いなかった。
 
 連絡を受けた岩岡からの報告を受け、菜々子は東京の本社に速報を出すように指示した。
「金正恩総書記が人民大会堂に入る。間もなく中朝首脳会談開始」
 各社も同様の速報をほぼ同時に配信した。暫くして新華社が写真を公開した。
 
 列車から降り立った黒い人民服姿の金正恩総書記をかなり離れて胡立山外交部長が出迎えている。随分とワイドな画像で、意図的なのか解像度は高くない。拡大すると総書記の貫禄たっぷりな態度は何となく分かるが、顔の細部までははっきりしない。むしろ、髪の毛を少し伸ばし新しいヘア・スタイルにしているのがネットでは話題になった。刈り上げを止めて耳が半分ほど隠れていた。
 
 写真は国営通信社が発信したその一枚だけだった。写真の説明をするキャプションには「北京駅で午後、北朝鮮の金正恩総書記を中国外交部の胡立山部長が出迎えた」と書かれているだけだ。記事は無い。
 
 中国に自由で独立した報道機関は存在しない。民間企業が報道活動に従事することはだいぶ前から禁じられ、政府に都合の悪いニュースをSNSで発信する個人は摘発された。現地報道は基本的に中国共産党中央宣伝部の意のままだった。
 
 夕方のニュースでメトロポリタン放送は首脳会談開始をトップで伝えた。
 
「中国訪問中の北朝鮮の金正恩総書記が、今日午後、北京の人民大会堂に入りました。人民大会堂では、現在、中国の習近平主席との首脳会談が行われている模様です。それでは北京から中継で伝えてもらいます。岩岡さん!」
 
「はい、北京支局です。昨夜、ようやく北京に特別列車で到着した北朝鮮の金正恩総書記は、今日昼過ぎ、北京駅で、中国外交部の胡立山部長の出迎えを受けた後、車に乗り換え、人民大会堂に入りました。
 御覧頂いている写真は金総書記が列車を降り立った時のもので、黒い人民服姿の総書記は堂々としていて、一部に流れていました健康不安説を払拭する元気な様子でした。
 その後、中国当局の先導で人民大会堂に向かう車列の映像を北京支局は撮影しました。 総書記がいつも使用している黒のベンツが写っています。
 中国当局からは、先程の写真一枚が公開されただけで詳しい発表はありませんが、車列は人民大会堂に入っており、現在、習近平主席と会談していると見られています。
 ただし、会談がいつ終わるのか、或いは何回行われるのか、はっきりしておりません。
 会談の主なテーマは、ワクチンが効かない変異株が北朝鮮で出現したと危惧される問題と見られ、その変異株への対応と北朝鮮への支援策が話し合われている模様です」
 
 やはり岩岡の喋りはぎこちない。用意した原稿を棒読みしているように聞こえた。
 
「岩岡さん、ワクチンが効かない変異株が出現したという情報は本当なのでしょうか?」
「まだ確認されたものではありませんが、大方の見方はそうだろうという点でほぼ一致しています。しかし、それが北朝鮮国内でどのような状況を生み出しているのか、どれほどの脅威なのかなど、不明の点が多く、詳細は発表があり次第、お伝えしたいと思います」
「ありがとうございました。スタジオには感染症対策がご専門の…」
 
 東京のスタジオではまたも専門家を交え、変異株の脅威について議論が展開された。総書記が人民大会堂に入り、中朝首脳会談がいよいよ始まった模様という以外、これと云った情報は無く、放送内容の大半は焼き直しだったが、それでも大きく扱うしかない。関心は高かったのだ。
 
「時間が掛かりましたが、記者証に問題はありませんでした。もうお帰りになって構いません」
 その頃、北京駅近くのホテルのビジネス・センターで缶詰にされていた佐藤らは漸く解放された。しかし、中国公安の係官はこう付け加えるのを忘れなかった。
「この地域は住民や職員以外、当分立ち入り禁止になります。すぐにチェック・アウトしてご自宅にお戻り下さい。面倒を起こさないよう忠告させて貰います」
 
「立ち入り禁止だと?駅周辺の取材は一切認めないと言う事か…チクショー」
 やはり口には出さなかったが、佐藤は怒り心頭であった。しかし、どうにもならない。支局に戻る途中の車内で疲れがどっと出て来た。
 
***

これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。
 
©新野司郎
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