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動物福祉と動物愛護

実は、私はネットサーフィンが好きだ。

興味のあるワードを検索しまくって、論文とか講演資料とか、きちっと検証されているものを手当たり次第に読んでいる。それが高じてこうした覚え書きを更新するようになったという訳だ。

私が読むのは大体、動物の話か環境保全関連だが、
そういう専門家の世間の中にはいくつかの共通認識があるようだとわかった。これが個人的には面白い。

例えば「一般人にとって、クマはテディベアやプーさんといった可愛らしいという印象が強い」とか、
「人間は動物の心理・行動を、擬人化して考えがち」だとか、
一般世間てこんな感じだよね、という専門家世間から見たあるある話だ。

今回の話題は、そのあるある話のひとつ、

「動物福祉と動物愛護は勘違いされやすい」

というところを、私なりに紹介しよう。



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以前の覚え書きで、動物福祉(アニマル・ウェルフェア)のことは解説させてもらった。
《野生動物への福祉ーー動物のQOLーー》

改めて要約すると、動物福祉とは『人間に役立ってくれる動物に対する、生活の質の向上や苦痛からの解放、その生態や習性を尊重した取り扱い(Quality of life)の提供』だ。

その対象は、人間からの利用・殺生を受ける前提の動物で、畜産動物、実験動物、使役動物、飼養動物つまりペットが当てはまる。野生動物は入らない。
彼らの命の責任を負っているのは人間だ。いつか何かのかたちで殺めることになるとしても、それまでの一生をより幸せに過ごしてもらおうという人間ならではの配慮が、動物福祉だと言えるだろう。


一方で、動物愛護という言葉はよく世間に知られているはずだ。
動物愛護法の改正やノライヌ・ノラネコの愛護団体の存在から、
「動物に優しくすること、その姿勢や態度」のことを指すという認識が多いと思う。その核心として「不殺」や「生かすこと」を重要視している愛護団体も多い。


この動物福祉と動物愛護の違いは、その行為の"主体"に現れる。

安楽死で例を挙げるとわかりやすい。

動物福祉は、安楽死を否定しない。何故ならひどい病気で歩くことも動くこともできなくなってしまった馬は、そのまま生きていても衰弱死するだけだからだ。息を引き取るまでの時間を苦しませるより、痛みやストレスのできるだけない方法で、安らかに終わらせてあげることが、その馬の為に唯一人間にできる行為だ。
つまり、考えるべきは「馬の気持ち」だ。

動物愛護は、安楽死を拒否しやすい。馬主の愛情を受けている馬が、病気や怪我で苦しんでいると、馬主は馬を生かしたまま何とかしようと苦心する。その結果、更なるストレスが馬にかかったとしても、生きていられるならと馬主は延命治療を続けていく。
この時、考えられているのは「馬主の気持ち」だ。

動物が主体か、人が主体か、
それが両者の決定的と言える差だ。



ところで、シーシェパードの存在をまだ覚えている人はいるかな?
2000年代に日本の調査捕鯨やイルカ漁文化に対する抗議活動を展開し、海の上で船ごと体当たりを行ったりした、オーストラリアの過激な環境保護団体だ。
彼らの活動は「クジラを殺すな。クジライルカを食べるのは動物虐待だ」という主張をしていたが、
これは動物福祉に関わるか?それとも動物愛護に関わるか?

前述したように、動物福祉は野生動物には適用されない。クジラの利用そのものに抗議している点から見ても、捕鯨反対は動物愛護の精神によるものだろう。
暴力的なシーシェパードの抗議活動や、彼らにシンパシーを感じた一般人による抗議デモ等から読み取れるのは、

動物愛護は、自分の個人的な感情(動物を可愛いと思う心)から出発しているということ。
つまり感情の抑制がきかなくなれば、自分の考えに盲目的になりやすいということではなかろうか。

(ちなみにシーシェパードは日本やアメリカなどではテロリストだ。去年英国でもテロリスト指定されたし、団体リーダーは国際指名手配犯だとか。やっぱり世界はスケールが違うね)




誤解しないでほしいのは、そうした一部団体の暴力行為を理由にして、動物愛護活動全体が批判を受けるべきじゃないということ。
動物に対する無償の奉仕と献身を続ける、まるでナイチンゲールのような素晴らしい活動家は大勢いる。

でも忘れないでいてほしいのは、
自分の感情を正当化しすぎると、愛する動物自身が置き去りになってしまうよということだ。
多頭飼育の崩壊なんて、その最たる例だろう。



動物愛護が、動物を愛する心なら、
動物福祉は、動物の幸せを尊重することだ。

この2つが組み合わさった時、そこは動物にとって他のどこよりも恵まれた環境になるだろう。
まだ日本では、動物関係者の中にでさえ動物福祉の考え方が浸透しきっていない。動物に関わる私たち全員にとって、まだまだ勉強が必要なのだ。






2021.4.15














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